庾道憐とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 庾道憐の意味・解説 

庾道憐

(ユ道憐 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/23 23:31 UTC 版)

庾皇后
東晋の皇后
在位 興寧3年7月10日[1] - 太和元年5月12日
365年8月13日 - 366年7月5日

全名 庾道憐
別称 孝皇后
海西公夫人
出生 不詳
死去 太和元年5月12日[2]
366年7月5日
埋葬 敬平陵
配偶者 廃帝
氏族 潁川庾氏
父親 庾冰
兄弟 庾希
テンプレートを表示

庾 道憐(ゆ どうりん)は、中国東晋廃帝司馬奕の皇后庾文君(明穆皇后、司馬奕の祖母)の姪。本貫潁川郡鄢陵県。父は庾冰(明穆皇后の兄)。

生涯

東海王司馬奕(後の廃帝)に嫁ぎ、妃(正室)となった。

興寧3年(365年)7月、司馬奕の即位に伴い皇后に立てられた。しかし、冊立されてからわずか10ヵ月の太和元年5月戊寅(366年7月5日)、崩じた。され、敬平陵に葬られた。

太和6年(371年)、司馬奕が廃され海西公に降格されると、道憐も海西公夫人に追降された。太元11年(386年)、司馬奕が没すると、道憐の遺体は呉県に移され夫と合葬された。

脚注

  1. ^ 『晋書』巻8, 海西公紀 興寧三年七月壬子条による。
  2. ^ 『晋書』巻8, 海西公紀 太和元年五月戊寅条による。

伝記資料

  • 晋書』巻32 列伝第2 后妃下



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  庾道憐のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「庾道憐」の関連用語

庾道憐のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



庾道憐のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの庾道憐 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS