ユリア・ヴァラディとは? わかりやすく解説

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ユリア・ヴァラディ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/23 00:41 UTC 版)

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この項目では、印欧語族風に、名前を名姓順で表記していますが、ハンガリー語圏の慣習に従いヴァラーディ・ユーリアと表記することもあります。

ユリア・ヴァラディ(Júlia Várady, 1941年9月1日[1] - )は、ハンガリー出身のソプラノ歌手。[2][3][4]

ハンガリー領ナジヴァーラド[5]にユリア・テジェー(Júlia Tözsér)として生まれる。6歳からヴァイオリンを始め、10歳で地元のユース・オーケストラに参加するほどに上達したが、その後クルジュでエミリア・ポップに歌唱法を学び、ブカレストでもアルタ・フロレスクの薫陶を受けた。1962年にクルジュ国立歌劇場で歌手デビューを果たし、1970年にフランクフルト歌劇場に転出するまで、当歌劇場で活動した。1972年にはフランクフルト歌劇場からバイエルン国立歌劇場に転じる。1974年にはグラスゴーのスコティッシュ・オペラに登場してイギリスにも進出し、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ[6]と結婚。1976年にはザルツブルク音楽祭に初出場している。1978年にはメトロポリタン歌劇場にも登場した。1998年にはオペラから引退。

脚注

  1. ^ Fischer, Jens Malte (1993) (ドイツ語). Grosse Stimmen : von Enrico Caruso bis Jessye Norman. Metzler. p. 543. ISBN 9780199578542 
  2. ^ Julia Varady (Soprano)”. 2012年12月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月30日閲覧。
  3. ^ Marcy, Laura (2008) (英語). The Grove Book of Opera Singers. Oxford University Press. pp. 514-515. ISBN 9780195337655 
  4. ^ ユリア・ヴァラディ - Discogs
  5. ^ 現ルーマニア領オラデア。1940年から1944年までハンガリー占領下にあった。
  6. ^ 1973年12月にバイエルン国立歌劇場で、サヴァリッシュの指揮によるプッチーニの『外套』で共演したのが初めての出会い。この時の演奏はCD化されている。



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