モチヅキハーケン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/09 01:41 UTC 版)
戦後金物の町三条市で鍛冶屋が作って製品を各地に卸す集散地問屋にある家業を継いだ。また戦前始めた登山も再開した。戦前に比べると登山用具は少しずつ手に入りやすくなったが、やはりハーケンやカラビナはほとんど持つことができなかった。 1950年、鈴文という鍛冶屋に話を持ちかけ、二人で共同して自分で使うためのハーケン作りを始めた。望月がホームグランドにしていた谷川岳では岩が複雑でリスのすぐ奥でその間隙が狭かったりくねったりすることが多く、従前のハーケンでは曲がった先のリスには入りにくかったが、望月は鍛造した軟鉄でハーケンを作ることを考えつき、リスのカーブに沿って侵入しかつ曲がっても折れにくいハーケンができた。好日山荘でもすべてのハーケンはモチヅキハーケンとなり、「ハーケンのモチヅキ」という評価は早くも定着した。
※この「モチヅキハーケン」の解説は、「望月力」の解説の一部です。
「モチヅキハーケン」を含む「望月力」の記事については、「望月力」の概要を参照ください。
- モチヅキハーケンのページへのリンク