ムスハフは、「主なる神の啓示」からはじまったが、やがて「聖石信仰の巫者、の啓示」に変化した、とする見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 04:27 UTC 版)
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ムハンマドの場合、最初のうちは洞窟などで瞑想にふける修行をしていたようだ。そのことは、ムハンマドには預言者としての心の境地が整っていた、と見ることができる。当初、彼には、主なる神の啓示が降りてきたようである。しかし、やがて彼は、政治家として、戦闘や殺人や強盗に手を染めるようになってしまった。そのため、彼には、主なる神の啓示が降りてこなくなったようである。ムハンマドに降りてきた啓示は、聖石信仰ともいえる散文的な啓示だけであった。 「巫者を神が支配する宗教」の特徴としては、啓示を受ける巫者の心の境地の状態に応じた霊的存在が、その人の体を支配するとされている。聖なる存在は聖なる心に来たり、俗なる存在は俗なる心に引き寄せられるとされている。降霊を待ち望んでいる人の心には、心の隙があるとされる。降りてきた霊の姿を霊視できない場合、神だと名乗ってきた低級霊にだまされることは、往々にしてあるとされる。ムハンマドは霊聴はできたが、たまにしか、霊を視ることはできなかったとされているので、だまされやすい条件はそろっていると見ることができる。
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