ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ (スモレンスク公)とは? わかりやすく解説

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ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ (スモレンスク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 07:29 UTC 版)

ムスチスラフ・ロスチスラヴィチ
Мстислав Ростиславич
ベルゴロド公
スモレンスク公
ノヴゴロド公
在位 ベルゴロド公1161年1171年 - 1173年
スモレンスク公1175年 - 1177年
ノヴゴロド公1179年 - 1180年

出生 1148/52年
死去 1180年6月13日
埋葬 ノヴゴロド聖ソフィア大聖堂
配偶者 ガーリチ公ヤロスラフの娘
  フェオドシヤ
子女 ムスチスラフ
ダヴィド
ウラジーミル
家名 リューリク家
父親 キエフ大公ロスチスラフ1世
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ムスチスラフ・ロスチスラヴィチロシア語: Мстислав Ростиславич、1148/52年 - 1180年6月13日没[1])は、キエフ大公ロスチスラフ1世の子である。ベルゴロド公1161年1171年 - 1173年スモレンスク公1175年 - 1177年ノヴゴロド公1179年 - 1180年。聖名はゲオルギー[注 1]。また、フラブリー(ロシア語: Храбрый、「勇敢な」の意)という通称で呼ばれるが、ムスチスラフの存命中には通称で呼ばれたことはなく、15世紀に編纂された『ノヴゴロド第一年代記』に初めて記されたものである[3]

生涯

1168年、ルーシ南部の諸公とポロヴェツ族遠征に参加し、勝利した。1169年キエフ大公国の諸領地を統べることを望み、アンドレイ・ボゴリュブスキーの起こした紛争に加担した。しかし、間もなくアンドレイがスモレンスク公を自分に服属させようとしたことによって、同盟関係を解消した。

1174年 - 1175年、アンドレイ死後のウラジーミル大公国で政権争いが起こると、ユーリー・ドルゴルーキーの孫のムスチスラフヤロポルク兄弟(アンドレイの甥にあたる)、古くからのロストフの聖職者階級、スーズダリの大貴族階級らを支援した。それはミハイルフセヴォロド兄弟(アンドレイの兄弟にあたる)や新興の職人階級に対抗するものであった。なお、リャザン公グレプがムスチスラフ側に付いている。

1179年、ノヴゴロドの人々に招かれ、ノヴゴロド公位に就いた。同年、チュヂ族の2万の軍勢に勝利した。1180年春、ポロツクへの遠征を試みたが、スモレンスク公ロマンの派遣したムスチスラフ(ロマンの子)の軍に阻まれ、遠征を断念した。同年の6月13日に、突然の病によって死去した。年代記には、死の前に痩せ衰え、言葉を話せなくなったという記述がある。遺体はノヴゴロドの人々によって、ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂に埋葬された。聖人とみなされ、記憶日は6月14日(グレゴリオ暦では6月27日)となっている。

妻子

息子

脚注

注釈

  1. ^ フョードルという説もある[2]
  2. ^ フェオドシヤを最初の妻とする説もある[4]

出典

  1. ^ Войтович Леонтій Смоленська гілка Рюриковича. Смоленська і Ярославська династії//Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження— Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.
  2. ^ Войтович Леонтій Князівські династії Східної Європи (кінець IX — початок XVI ст.): склад, суспільна і політична роль. Історико-генеалогічне дослідження— Львів: Інститут українознавства ім. І.Крип’якевича, 2000.
  3. ^ Вилкул Т. Л. Мстислав Храбрый — к происхождению эпитета //Древняя Русь. Вопросы медиевистики. 2005. № 3 (21). С. 14.
  4. ^ Славянская энциклопедия. Киевская Русь — Московия: в 2 т. / Автор-составитель В. В. Богуславский. — Т. 1. — С. 768—769.

参考文献

先代
ムスチスラフ2世
ベルゴロド公
1161年
次代
ムスチスラフ2世
先代
ムスチスラフ2世
ベルゴロド公
1171年 - 1173年
次代
リューリク
先代
ヤロポルク
スモレンスク公
1175年 - 1177年
次代
ロマン
先代
ロマン
ノヴゴロド公
1179年 - 1180年
次代
ウラジーミル



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