ムスチスラフ・ミハイロヴィチとは? わかりやすく解説

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ムスチスラフ・ミハイロヴィチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/29 02:19 UTC 版)

ムスチスラフ・ミハイロヴィチロシア語: Мстислав Михайлович、1220年[1] - 13世紀後半)は、系譜史料に従えばチェルニゴフ公ミハイルの子であり、オレグ家(ru)の分派・カラチェフ系[注 1]の祖となった人物である。初代カラチェフ公とみなされるが、カラチェフ公の称号の初出は1383年であること、また領有する都市の中で中心的な都市はコゼリスクであったとして、コゼリスク公が適切とする見解を唱える研究者も多い[2]。その出自、子孫、事績に関しては不明な点が多い。


注釈

  1. ^ 「オレグ家」はロシア語: Ольговичиの、「カラチェフ系」はロシア語: Карачевской ветвиの意訳による。
  2. ^ R.ゾートフ(ru)によれば、ミハイル・ドミトレヴィチはコゼリスク公ドミトリー・ムスチスラヴィチの子とされている[5]
  3. ^ チェルニゴフ公ミハイルとその子孫の系譜に関しては、ミハイル2世 (キエフ大公)#「後裔」の系譜を参照されたし。

出典

  1. ^ a b Мстислав Михайлович // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
  2. ^ Зотов Р. В. О черниговских князьях по Любецкому синодику и о Черниговском княжестве в татарское время, № 135. — С. 90.
  3. ^ Беспалов Р. А. «Новое потомство» князя Михаила Черниговского… — С. 80.
  4. ^ Бычкова М. Е. Родословные книги XVI—XVII вв. — С. 158.
  5. ^ Зотов Р. В. О черниговских князьях по Любецкому синодику и о Черниговском княжестве в татарское время, № 35. — С. 90.
  6. ^ Беспалов Р. А. «Новое потомство» князя Михаила Черниговского… — С. 81, 94.
  7. ^ Baumgarten N. Généalogies et mariages occidentaux des Rurikides… — P. 54—56, 86—94.
  8. ^ a b Зотов Р. В.. О черниговских князьях по Любецкому синодику. — С. 68—69.


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