ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ (ノヴゴロド公)とは? わかりやすく解説

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ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ (ノヴゴロド公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 07:40 UTC 版)

ムスチスラフ・ダヴィドヴィチ
Мстислав Давыдович
ノヴゴロド公
ヴィシゴロド公
ノヴゴロド公位につくムスチスラフ
在位 ノヴゴロド公1184年 - 1187年
ヴィシゴロド公:1187年 - 1189年

出生 1163/8年
死去 1189年
配偶者 トグリイの娘?
家名 リューリク家
父親 スモレンスク公ダヴィド
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ムスチスラフ・ダヴィドヴィチロシア語: Мстислав Давыдович1163/8年 - 1189年[1])は、ルーシの公(クニャージ)のうちの一人である。ノヴゴロド公(在位:1184年 - 1187年[1])、ヴィシゴロド公(在位:1187年 - 1189年[1])。聖名ボリス。

父はスモレンスク公ダヴィド。ノヴゴロド公、ヴィシゴロド公位に就いた。妻はポロヴェツ族のハン・トグリイの娘とする説がある[1][2]。子に関する詳細は不明である。

V.タチシチェフは、ポロツク公ボリス(ru)ヴィテプスク公ダヴィドの子とされる。)と同一人物であると論じており、その場合、1184年から1184年もしくは1186年にかけて、ポロツク公位に就いていたことになる。

出典

  1. ^ a b c d Войтович Л. 3.16. СМОЛЕНСЬКА ГІЛКА РЮРИКОВИЧА. СМОЛЕНСЬКА І ЯРОСЛАВСЬКА ДИНАСТІЇ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
  2. ^ 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(8) : 『キエフ年代記集成』(1181〜1195年)」『富山大学人文学部紀要』第68巻、富山大学人文学部、2018年2月、197頁、CRID 1390572174764448768doi:10.15099/00018264hdl:10110/00018264ISSN 03865975 
先代
ヤロスラフ
ノヴゴロド公
1184年 - 1187年
次代
ヤロスラフ



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