マンマ・ローマとは? わかりやすく解説

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マンマ・ローマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/27 04:48 UTC 版)

マンマ・ローマ
Mamma Roma
エットレ・ガロファーロ(左)とアンナ・マニャーニ
監督 ピエル・パオロ・パゾリーニ
脚本 ピエル・パオロ・パゾリーニ
製作 アルフレド・ビニ
出演者 アンナ・マニャーニ
エットレ・ガロファーロ
撮影 トニーノ・デリ・コリ
編集 ニーノ・バラーリ
製作会社 アクロ・フィルム
配給 ユーロスペース[1]
公開 1962年9月22日
2004年5月18日[1]
上映時間 106分
製作国 イタリア
言語 イタリア語
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マンマ・ローマ』(: Mamma Roma)は、1962年公開のイタリアドラマ映画。監督・脚本はピエル・パオロ・パゾリーニ。主演はアンナ・マニャーニとエットレ・ガロファーロ。

ローマの貧困層の人々に焦点を当てたパゾリーニ初期の傑作といわれる[2]

日本での劇場初公開は2004年だが、1992年にクラウンレコードからビデオが、2001年パイオニアLDCからDVDがリリースされている。

あらすじ

マンマ・ローマは別れて暮らしていた16歳の息子エットレと一緒に暮らすため売春婦稼業から足を洗う。息子にはカタギの人生を送って欲しいと奮闘するが、昔のヒモのカルミネが現れて金をせびる。売春婦の過去を息子に知られたくないマンマ・ローマは再び体を売ることに。母親のそんな思いも知らず息子は不良仲間とつるみ、盗みに入る。しかし逮捕され、獄中で病死する。

キャスト

評価

1995年1月18日、『ニューヨーク・タイムズ』紙のジャネット・マスリンは、ロベルト・ロッセリーニヴィットリオ・デ・シーカに代表される戦後イタリアのネオレアリズモの模倣であるのは明らかだが、後のパゾリーニ映画に通じる官能性と暗い因襲打破がこの映画には渦巻いている、と評している[3]

出典

  1. ^ a b マンマ・ローマ - KINENOTE
  2. ^ 『ぴあCINEMA CLUB 1993洋画編』ぴあ、1993年、892頁。 
  3. ^ Maslin, Janet (1995年1月18日). “FILM REVIEW; A Steamy Pasolini Rarity From 1962”. The New York Times. https://www.nytimes.com/1995/01/18/movies/film-review-a-steamy-pasolini-rarity-from-1962.html 2020年3月28日閲覧。 

外部リンク




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