マリウス・ニクラエとは? わかりやすく解説

マリウス・ニクラエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/17 05:51 UTC 版)

Jump to navigation Jump to search
マリウス・ニクラエ
名前
本名 マリウス・コンスタンティン・ニクラエ
Marius Constantin Niculae
ラテン文字 Marius Niculae
基本情報
国籍  ルーマニア
生年月日 (1981-03-16) 1981年3月16日(37歳)
出身地 ブカレスト
身長 184cm
選手情報
ポジション FW
ユース
1990-1996 ディナモ・ブカレスト
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-2001 ディナモ・ブカレスト 100 (44)
2001-2005 スポルティングCP 59 (14)
2005-2006 スタンダール・リエージュ 26 (4)
2007 マインツ 6 (0)
2007-2008 インヴァネス 35 (8)
2008-2012 ディナモ・ブカレスト 89 (38)
2011 カヴァラ (loan) 12 (4)
2012-2013 ヴァスルイ 19 (11)
2013 山東魯能泰山 8 (2)
2013-2014 ホヴェルラ・ウージュホロド 13 (3)
2014 シャンルウルファスポル 0 (0)
2015 ディナモ・ブカレスト 13 (3)
代表歴
1997 ルーマニア U-16 7 (4)
1997-1999 ルーマニア U-18 5 (6)
1999-2000 ルーマニア U-21 12 (4)
2000-2013 ルーマニア 43 (15)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マリウス・ニクラエMarius Constantin Niculae, 1981年3月16日 - )は、ルーマニアブカレスト出身の元サッカー選手。元ルーマニア代表である。ポジションはFW

経歴

ディナモ・ブカレスト

FCディナモ・ブカレストの下部組織出身であり、15歳だった1996年11月22日、FCファルル・コンスタンツァ戦 (5-2) でリーガ1デビューした。1998-99シーズンと1999-2000シーズンは2シーズン計33得点を挙げ、後者のシーズンは攻撃に不可欠な選手としてダブル(リーガ1とクパ・ロムニエイの2冠)を達成した。

スポルティングCP

2001年、ポルトガル・スーペル・リーガスポルティングCPと4年契約を結んだ。ライオンズがダブル(スーペル・リーガとタッサ・デ・ポルトガルの2冠)を達成した2001-02シーズンに最も力を発揮し、リーグ戦では前半戦の16試合で7得点を挙げて優勝に貢献した。しかし、2001年12月22日のヴィトーリア・セトゥーバル戦でイコの危険なタックルを膝に受け、選手生命を危ぶまれるほどの大怪我を負った。長いリハビリ期間を経て、2002年夏のプレシーズンに復帰することができたが、12月10日の練習で爪先を負傷すると、この怪我は再発続きで本当に長い離脱となった[1]。再び完全なコンディションになるまでは、かつての状態を取り戻すためにもがき続けた。2004-05シーズンのUEFAカップでは3試合に出場して準々決勝のニューカッスル・ユナイテッドFC戦(ホーム4-1)で得点した。スポルティングは本拠地のエスタディオ・ジョゼ・アルヴァラーデで行われた決勝に到達したが、PFC CSKAモスクワに敗れて準優勝に終わった[2]。度重なる負傷や2003年のマリオ・ジャルデウ加入などもあって、スポルティングでは完全なレギュラー定着には至らなかった[3][4][5]

インヴァネスFC

2005年から2006年にはベルギー・ジュピラーリーグスタンダール・リエージュに在籍し、2007年にはドイツ・ブンデスリーガ1.FSVマインツ05に在籍したが、どちらのクラブでも活躍が目立つことはなく、特にマインツではリーグ戦わずか5試合の出場に留まった。2007年7月にスコティッシュ・プレミアリーグインヴァネスFCの短期間のトライアルに参加し、その後インヴァネスと2年契約を結んだ。最初の労働許可証の申請は拒否されたが、インヴァネスは強く訴えかけ、ニクラエが許可証を手に入れられるようファンに嘆願署名を求めた。これによって労働許可証の発行が認められ、ニクラエの試合出場が可能となった。同年12月にはリーグの月間最優秀選手に選ばれる活躍を見せ、ファンの人気者となった。ホームでのキルマーノックFC戦 (3-0) では決勝点を決めた後にスタンドに駆け寄ってサポーターの祝福を受けたが、この際にはピッチを離れたとしてイエローカードを提示された[6]。アラン・サヴェージ会長の辞任後、クラブがニクラエの報酬を支払えないことが明らかになり[7][8]、2008年夏に古巣ディナモ・ブカレストから届いた移籍金50万ユーロのオファーを受け入れた[9]。インヴァネスでは公式戦通算38試合に出場して10得点を記録した。

母国復帰

2008年にディナモ・ブカレストに復帰し、2008-09シーズンはリーグ戦で12得点を挙げたが、その後のシーズンは再起に失敗した。2011年1月、ギリシャ・スーパーリーグAOカヴァラにレンタル移籍した。2011年夏にディナモに復帰すると、2011-12シーズンは29試合で19得点を挙げ、母国復帰後最高のシーズンを送った。2012-13シーズン初め、FCヴァスルイと2年契約(12ヶ月の契約延長オプション付き)を結んだ[10]

所属クラブ

カヴァラFC (loan) 2011

個人成績

代表での得点

タイトル

クラブ

FCディナモ・ブカレスト
スポルティングCP

個人

脚注

  1. ^ Marius Niculae com suspeita de nova fractura no pé direito Record、2003年5月19日 (ポルトガル語)
  2. ^ Sporting 4-1 Newcastle (agg: 4-2) BBC Sport、2005年4月14日
  3. ^ Niculae has knee surgery UEFA.com、2002年1月7日
  4. ^ Training injury rules out Niculae UEFA.com、2004年9月15日
  5. ^ Niculae injury leaves Romania short UEFA.com、2005年2月14日
  6. ^ Goal puts Celtic top of the table BBC、2008年4月19日
  7. ^ Niculae's Inverness wages secure BBC Sport、2008年4月19日
  8. ^ Inverness dispute Niculae payment BBC Sport、2009年10月14日
  9. ^ Niculae delighted by Dinamo return UEFA.com、2008年7月25日
  10. ^ Vaslui lure Niculae from Dinamo”. UEFA.com. 2012年7月22日閲覧。

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マリウス・ニクラエ」の関連用語

マリウス・ニクラエのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリウス・ニクラエのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリウス・ニクラエ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS