マリア・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/11 00:33 UTC 版)
| マリア・デ・アラゴン María de Aragón |
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| カスティーリャ王妃 | |
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| 在位 | 1418年 - 1445年 |
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| 出生 | 1396年 |
| 死去 | 1445年2月18日 |
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| 結婚 | 1418年10月20日 メディナ・デル・カンポ |
| 配偶者 | カスティーリャ王フアン2世 |
| 子女 | カタリナ レオノール エンリケ4世 マリア |
| 家名 | トラスタマラ家 |
| 父親 | アラゴン王フェルナンド1世 |
| 母親 | レオノール・デ・アルブルケルケ |
| 宗教 | ローマ・カトリック |
マリア・デ・アラゴン(María de Aragón, 1396年 - 1445年2月18日)は、カスティーリャ王フアン2世の最初の妃。
生涯
父はアラゴン王フェルナンド1世、母は王妃レオノール・デ・アルブルケルケ。兄にアラゴン王兼ナポリ王アルフォンソ5世、弟にアラゴン王兼ナバラ王フアン2世、ビリェーナ公エンリケ、妹にポルトガル王ドゥアルテ1世妃レオノールがいる。父フェルナンドは元はカスティーリャ王子であり、マリアもカスティーリャで生まれた。
1418年に従弟であるフアン2世と結婚し、故国の王妃となった。なお、1415年にマリアの兄アルフォンソ5世と夫の長姉マリアが、1420年にマリアの次弟エンリケと夫の次姉カタリナが結婚している。
2人の間には1男3女が生まれたが、息子エンリケ4世以外の娘3人は夭逝した。
- カタリナ(1422年 - 1424年)
- レオノール(1423年 - 1425年)
- エンリケ4世(1425年 - 1474年)
- マリア(1428年 - 1429年)
マリアが1445年に死去した後、夫はポルトガル王族のイサベルと再婚し、後の女王イサベル1世とアストゥリアス公アルフォンソをもうけた。
人物
- トランプのクラブのクイーンは、このアラゴンのマリーとする説がある。
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