レオノール・デ・アラゴン (ポルトガル王妃)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 09:27 UTC 版)
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レオノール・デ・アラゴン Leonor de Aragão |
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ポルトガル王妃 | |
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在位 | 1433年8月14日 - 1438年9月9日 |
戴冠 | 1433年8月15日 |
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出生 | 1402年5月2日![]() |
死去 | 1445年2月19日(42歳没)![]() |
埋葬 | ![]() |
結婚 | 1428年9月22日 コインブラ、サンタ・クラーラ修道院 |
配偶者 | ポルトガル王ジョアン5世 |
子女 | アフォンソ5世 フェルナンド レオノール カタリーナ ジョアナ |
家名 | トラスタマラ家 |
父親 | アラゴン王フェルナンド1世 |
母親 | レオノール・デ・アルブルケルケ |
宗教 | ローマ・カトリック |
レオノール・デ・アラゴン(葡: Leonor de Aragão, 西: Leonor de Aragón, 1402年 - 1445年2月19日)は、ポルトガル王ドゥアルテ1世の王妃。
生涯
10年後にアラゴン王フェルナンド1世となるカスティーリャ王子フェルナンドと妃レオノール・デ・アルブルケルケの娘として、カスティーリャのメディナ・デル・カンポで生まれた。
1428年9月、ドゥアルテと結婚した。9子をもうけたが、成人したのは5人である。
- アフォンソ(1432年 - 1481年)
- フェルナンド(1433年 - 1470年) ヴィゼウ公。マヌエル1世の父
- レオノール(1434年 - 1467年) 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世皇后
- カタリーナ(1436年 - 1463年) 尼僧
- ジョアナ(1439年 - 1475年) カスティーリャ王エンリケ4世の2度目の妃
1438年にドゥアルテが黒死病で急逝する。生前に夫から摂政就任を依頼されていたレオノールは、幼王アフォンソ5世の摂政就任を宣言する。しかし、彼女は外国人であるためポルトガル国内で人気がなく、王弟コインブラ公ペドロが人望を集めていた。バルセロス伯とリスボン大司教の干渉、長女フィリッパが9歳で夭折、遺児ジョアナの出産など、出来事が相次ぎ、数か月たっても摂政が決まらなかった。
コルテスが招集され、すぐにコインブラ公単独の摂政就任が決定された。これに不服なレオノールはなおもコインブラ公追い落としを画策するが、1440年にカスティーリャへの亡命を強いられた。彼女はトレドで亡くなり、バターリャ修道院に葬られた。
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