マヌエラ・カラスコとは? わかりやすく解説

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マヌエラ・カラスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 07:01 UTC 版)

マヌエラ・カラスコ (本名:マヌエラ・カラスコ・サラサール Manuela Carrasco Salazar1958年-)は、スペインバイラオーラ女性フラメンコダンサー)。フラメンコ舞踊本流を代表する舞踏家。セビージャ出身。夫はギター奏者のホアキン・アマドール。

来歴

1954年セビージャで生まれる。幼少時からフラメンコのリズムに囲まれた家庭環境に育ち、舞踊学校への就学や講師に師事することなく、独学でフラメンコのエッセンスを身につけた。 1964年に10歳でプロデビュー1967年にクーロ・ベレス舞踊団とともにヨーロッパツアーを実施するなど頭角をあらわし、1969年には15歳で「マヌエラ・カラスコ舞踏団」を立ち上げた。

以後、セビージャの「ラ・コチェーラ」、「ロス・ガジョス」を中心に、マドリッドの「ロス・カナステーロス」、「カリペン」、マラガ県トレモリーノスの「エル・ハレオ」など、スペイン各地の主要なタブラオ(舞踏場)において、主にソリストとして公演を重ね、カマロン、エル・レブリハーノ、エル・グイト、ファン・エル・アビチュエラらと共演して名声を博し、「フラメンコの女王」、「フェスティバルの女王」などの異名を取るまでに至った。

おもな受賞歴

演風

バイラオーラ(女性舞踏家)としてアルテ(芸術、技巧)の奥深さを持つ上に、女性としては大柄な体躯から繰り出す堂々としてバイタリティーに溢れる情熱的な舞踏と、バイラオール(男性舞踏家)をも凌ぐサパテアードの迫力は、観る者に大きな衝撃を与える。

特に得意とする演目「ソレアレス Soleares (「孤独」の意)」は、情感を秘めたマルカからエスコビージャへの展開、そしてブレリアにおける闘牛の牛あしらいのシーンは特に名高く、彼女の右に出る者はいないとされている。

その演風は、マカローナ、ラ・マレナ、パストーラ・インペリオなどにも大きな影響を与えており、新人バイラオーラたちの目標となっている。




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