マキシム・ボネとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マキシム・ボネの意味・解説 

マキシム・ボネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/01 22:48 UTC 版)

マキシム・ジュール・セザール・ボネMaxime Jules Cesar Bonnet1878年3月28日 - 1959年3月19日)は、フランス神父パリ外国宣教会に所属していた。来日し、長崎・鹿児島・宮崎・嘉渡・宝亀・太刀洗・飯塚・新田原にて布教。

生涯

1878年(明治11年)、フランス北東部ブザンソンに生まれる。郷里の小神学校を経て、パリ外国宣教会の大神学校へ進学。1903年(明治36年)司祭に挙げられる。同年9月14日、長崎に上陸。同年10月より鹿児島教会付きの神父となる。1904年(明治37年)5月、宮崎教会付きとなる。1905年(明治38年)6月、龍郷町の嘉渡教会主任に就任。第一次世界大戦開戦により帰国。終戦ののち、再度日本に戻り、1923年(大正12年)9月、平戸市の宝亀教会主任、1928年(昭和3年)12月、大刀洗町の大刀洗教会主任、1940年(昭和15年)10月、飯塚市の飯塚教会主任、1945年(昭和20年)10月、行橋市の新田原教会主任を歴任。1953年(昭和28年)8月、宣教会本部付きとなる。1956年(昭和31年)10月、新田原病院入院。1959年(昭和34年)帰天。新田原教会墓地に埋葬される。[1][2]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 『人物による日本カトリック教会史』池田敏雄著、中央出版社、1968年、pp.242-246
  2. ^ 「ボネ神父の足跡」『ボネ神父様の思い出』亀崎善江編、聖母訪問会 新田原修道院、1988年所収



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マキシム・ボネ」の関連用語

マキシム・ボネのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マキシム・ボネのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマキシム・ボネ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS