ボリス・シボーとは? わかりやすく解説

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ボリス・シボー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/10 05:43 UTC 版)

ボリス・オシポヴィチ・シボー
出生名 Борис Осипович Лифшиц
生誕 (1880-06-09) 1880年6月9日
ロシア帝国 トルジョーク
死没 (1961-07-29) 1961年7月29日(81歳没)
ソビエト連邦 モスクワ州ニコリナ・ガラー
学歴 モスクワ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト、音楽教育家
担当楽器 ヴァイオリン

ボリス・オシポヴィチ・シボーロシア語: Борис Осипович Сиборラテン文字転写:Boris Osipovich Sibor, 1880年6月9日[1] - 1961年7月29日)は、ソビエト連邦ヴァイオリニスト。本名はリフシツ(ロシア語: Лифшиц)。

略歴

1980年、ロシア帝国トルジョークに生まれた。ヴァイオリンをレオポルド・アウアーについて学び、1904年からコンサート活動を始めた。レオポルド・アウアーの娘のナデージダ・アウアーと結婚した。

1906年にモスクワ人民音楽院の創設者となった。1909年にはセルゲイ・タネーエフの協奏的組曲の初演を行っている[2]ロシア革命ならびにロシア内戦時には、戦火を避けてクリミアに移り、その後シベリアに疎開して住んだ。

そしてその後再びモスクワに戻り、1923年から母校のモスクワ音楽院の教授として教鞭をとった。彼の学生には、アンドレイ・アブラメンコフ、イヴァン・ガラミアン、コンスタンチン・モストラスほかがいる。1925年にはロシア連邦共和国功労芸術家の称号を贈られた。

1961年、モスクワ州のニコリナ・ガラー(Николина Гора)で死去。モスクワのアルメニア人墓地に眠っている。

家族・親族

  • 妻:ナデージダ・アウアー(1876~1976)
  • 娘:ナタリア・ボリソヴナ・シボーはハープ奏者で音楽教育家となり、グネーシン音楽大学教授であった。
  • 娘:リサ・シボーは16歳で狂犬病のため死去。

出典




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