ヘンリー・ボイル_(野球)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・ボイル (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/03 15:08 UTC 版)

ヘンリー・ボイル
Henry Boyle
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州フィラデルフィア
生年月日 1860年9月20日
没年月日 1932年5月25日(満71歳没)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 右投??打
ポジション 投手
初出場 1884年7月9日
最終出場 1889年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


ヘンリー・ボイル(Henry J. Boyle ,1860年9月20日 - 1932年5月25日)は、主に1880年代に活躍したアメリカメジャーリーグの野球選手。ポジションは投手ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。右投げ。打席左右は不明。ニックネームは"Handsome Henry"(ハンサム・ヘンリー)。1886年のナショナルリーグ最優秀防御率投手。

経歴

1884年にユニオン・アソシエーションのセントルイス・マルーンズに加わった時は主に外野手として出場し、打率.260と4本の本塁打を放っている。投手としては19試合に登板して15勝3敗、防御率1.74という成績だった。ユニオン・アソシエーション解散後、マルーンズは1885年にナショナルリーグに加盟、この年ボイルは投手と外野手半分ずつこなしたが、打つ方は打率.202で、投手としても16勝24敗で100与四球を記録するなど精彩を欠いた。

1886年からは投手に専念するようになり、この年の勝敗は9勝15敗だったが、防御率1.76はリーグトップとなった。マルーンズはこの年限りで解散し、ボイルは翌年インディアナポリスに移籍する。インディアナポリスには3年在籍し、3シーズンともチームトップの勝ち星を挙げた。1889年には21勝(23敗)を記録している。

1889年を最後にフージャーズも解散してしまったため、ボイルは翌年のシーズン前にニューヨーク・ジャイアンツに移籍したが、ジャイアンツでは結局出場しないまま、再びメジャーに戻ってくることはなかった。1932年にフィラデルフィアで死去。

通算成績

投手成績

数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。























防御率
207 199 1756.1 89 10 111 1 602 1740 46 378 36* 81 597 3.06

獲得タイトル・記録

  • 最優秀防御率:1回(1886年)

打撃成績

  • 通算成績:291試合、1049打数230安打、本塁打10、打点70[1]、打率.219

脚注

  1. ^ 1884年の打点数は不明。

出典・外部リンク





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