ヘンリー・ボーフォート (第3代サマセット公)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・ボーフォート (第3代サマセット公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 06:38 UTC 版)

ヘンリー・ボーフォート
Henry Beaufort
第3代サマセット公
サマセット公の紋章
在位 1455年5月22日 - 1461年11月4日
1462年3月10日 - 1464年5月15日

出生 (1436-01-26) 1436年1月26日
死去 (1464-05-15) 1464年5月15日(28歳没)
イングランド王国ノーサンバーランド、ヘクサム
埋葬 イングランド王国ノーサンバーランド、ヘクサム修道院
子女 チャールズ(庶子)
家名 ボーフォート家
父親 第2代サマセット公エドムンド
母親 エレノア・ビーチャム
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第3代サマセット公ヘンリー・ボーフォート(Henry Beaufort, 3rd Duke of Somerset, 1436年1月26日 - 1464年5月15日)は、イングランドの貴族・軍人。薔薇戦争中のランカスター派の主要な軍司令官である。史書によっては「第2代」となっているものもあるが、これは彼の父が伯父ジョンの死後に爵位を受け継いだのを「継承」ではなく「再創設」とみなした場合の数え方である(ジョンの死後公爵位は1度消滅している)。

生涯

1436年、エドムンド・ボーフォートとエレノア・ビーチャム(ウォリック伯リチャード・ド・ビーチャムの娘)との長男として生まれた。エドムンド・ボーフォートは弟、マーガレット・ボーフォートやウォリック伯リチャード・ネヴィルとアン・ビーチャムの娘イザベル・ネヴィルアン・ネヴィル姉妹は従姉妹で、バッキンガム公ヘンリー・スタフォードは妹マーガレットが産んだ甥、テューダー朝を開いたヘンリー7世は従甥に当たる。

1455年第1次セント・オールバーンズの戦いでランカスター派として戦ったが重傷を負い、父は殺された。彼は1460年ウェイクフィールドの戦い1461年2月の第2次セント・オールバーンズの戦いといったランカスター派の勝ち戦では中心的な指揮官として活躍したが、結局1461年3月のタウトンの戦いに敗れ、スコットランドに落ち延びている。

スコットランドに落ち延びたサマセットは、フランスの支援を受けるために大陸に渡ったが交渉は失敗、そこでしばらく拘束された後にフランドルへ行き、スコットランド経由でイングランドに戻った。彼はノーサンバランドのいくつかの城に守備隊を置いていたが、そのうちの一つが攻城戦の末に降伏したことでヨーク派エドワード4世と和平を結ぶことにした。エドワード4世としては、王位を安定的なものにするためにはランカスター派の指揮官を味方に引き入れる必要があったので、1462年3月10日に赦免して、サマセットの失われた領土と爵位を復活させた。

次の年あたりまでの間、サマセットはエドワード4世に近侍し、宮廷に列席して軍事的なアドバイスをしていた。だが1463年の終わりにランカスター派側にこっそり戻り、急いで北帰して兵隊を集め始めた。そうしてイングランド北辺で翌1464年5月まで持ちこたえたが、ヘクサムの戦いで敗北し間もなく処刑された。遺体はヘクサム修道院に埋葬された。

嫡子が無かったため弟のエドムンドが爵位を継承した。しかしジョアン・ヒルとの非嫡出子チャールズ・サマセットは後に認知されウスター伯となり、子孫はボーフォート公に叙爵された。

イングランドの爵位
先代
エドムンド・ボーフォート
サマセット公
1455年 - 1464年
(1461年 - 1462年:剥奪)
次代
エドムンド・ボーフォート
先代
エドムンド・ボーフォート
ドーセット伯
1448年 - 1464年
(1461年 - 1462年:剥奪)
次代
消滅



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