フランチェスコ・フランチャとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 画家 > イタリアの画家 > フランチェスコ・フランチャの意味・解説 

フランチェスコ・フランチャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 03:05 UTC 版)

フランチェスコ・フランチャ
Francesco Francia
18世紀に描かれた肖像画
生誕 1450年頃
ボローニャ
死没 1517年1月5日
ボローニャ

フランチェスコ・フランチャFrancesco Francia)ことフランチェスコ・ライボリーニFrancesco Raibolini, 1450年頃 - 1517年1月5日 )は、イタリアボローニャ出身の画家金細工師、メダル意匠家、さらに市の貨幣鋳造所の所長でもあった[1]

略歴

ボローニャで生まれたとされてきたが最新の研究では、近隣のゾーラ・プレドーザの生まれとしている。フランチャはマルコ・ゾッポ(Marco Zoppo: 1433–1498) の下で修行した。最初に画家として名前が出てくるのは1486年のことである。最も初期の作品として知られているのは、『フェリチーニの聖母』で、そこには1494年の日付がある。ロレンツォ・コスタと協力して仕事をし、コスタやエルコレ・デ・ロベルティの作風の影響を受けた。1506年には、既にマントヴァ宮廷画家になっていて、その時には、ペルジーノラファエロの影響がより強かった。

弟子の中には、マルカントニオ・ライモンディなどがいたが、ジョルジョ・ヴァザーリによると、ライモンディは、フランチャのニエロ象嵌の制作で初めてエングレービングを教わったが、すぐに師匠の腕を追い抜いたということだ。また、ラファエロの『聖セシリア』は、フランチャに激しく劣等感を起こさせ、そのせいでフランチャは鬱病にかかって死んだのだと言われている[2]

息子のヤコポ・フランチャ(Jacopo Francia: 1481-1557) とジュリオ・フランチャ(Giulio Francia: 1487-1545)も画家である[1]

作品

脚注

  1. ^ a b Levinson:492
  2. ^ Murray:146

参考文献

  • Jay A. Levinson (ed.) Early Italian Engravings from the National Gallery of Art, National Gallery of Art, Washington (Catalogue), 1973,LOC 7379624
  • Murray, Peter and Linda (1983). Dictionary of Art and Artists. London: Penguin Books. pp. pp. 145-146 

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランチェスコ・フランチャ」の関連用語

フランチェスコ・フランチャのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランチェスコ・フランチャのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランチェスコ・フランチャ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS