フランチェスコ・アルチャート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 06:12 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動フランチェスコ・アルチャート | |
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枢機卿 | |
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聖職 | |
枢機卿任命 | 1565年3月12日 |
個人情報 | |
出生 | 1522年2月1日 ミラノ |
死去 | 1580年4月19日 ローマ |
フランチェスコ・アルチャート(Francesco Alciato、1522年2月1日 - 1580年4月19日)は、イタリアの法学者。同じく法学者にして『エンブレマタ』著者であったアンドレーア・アルチャートの甥にあたる。
人物
法学者としてパヴィア大学教授を務めたあと、ローマ教皇ピウス4世によって教皇庁に取り立てられ、後に枢機卿になった。
その文才は、マルク=アントワーヌ・ミュレやピエトロ・ヴェットーリら同時代の文人に高く評価する者もいたが、著作が公刊されることはなかった。
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