フランシス・クーパー_(第7代クーパー伯爵)とは? わかりやすく解説

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フランシス・クーパー (第7代クーパー伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/27 10:15 UTC 版)

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第7代クーパー伯爵フランシス・トーマス・ド・グレイ・クーパー (Francis Thomas de Grey Cowper, 7th Earl Cowper,KG PC DL1834年6月11日1905年7月18日)は、イギリスの貴族。1837年から1856年までフォーディッチ子爵の儀礼称号を称した。自由党の政治家として活動したほか、 1880年から1882年までアイルランド総督を務めた。

生涯

第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー英語版と第7代ルーカス女男爵アン・フロレンス・ド・グレイ(Anne Florence De Grey,1806年6月8日 - 1880年7月23/25日、第2代ド・グレイ伯爵トーマス・ド・グレイの娘)の息子として生まれた。ハーロー校を経て、オックスフォード大学に学んだ[1][2]

彼は1852年にヨークシャー軽騎兵連隊英語版付の少尉に任官した[3]。 1855年には、父よりケント州副統監に任命された[4]

1856年に父親の死去に伴って、クーパー伯爵の爵位を継承したと同時に、貴族院に列した。1861年よりその死まで、ベドフォードシャー州統監英語版を務める[1][2]

その後は自由党の政治家として活動し、1871年には グラッドストン内閣の儀仗衛士隊隊長(兼貴族院与党院内幹事)に任じられたほか、同年より枢密顧問官も兼任した。[2]さらに、第2次グラッドストン内閣下の1880年から1882年までアイルランド総督を務めた[1][2]。また、1865年にはガーター勲章を叙勲されている[2]

彼は襲爵後に、自身がオーモンド・オソーリィ伯爵バトラー家の女系子孫であるため、バトラー家がかつて保持したバトラー男爵及びディンゴール卿の爵位について爵位回復の請願を行った。その結果、1871年位両爵位を回復している[1][5][6]

さらに1871年には母方の爵位であるルーカス男爵も併せて相続した[7]

1905年に71歳で没した。彼には子がなかったため、クーパー伯爵とその従属爵位、及びナッソー・ドーヴァーカーク侯爵は廃絶、バトラー男爵位は彼の姉妹間で優劣がつかなかったため停止(Abeyant)となった[1]

一方、ディンゴール卿位とルーカス男爵位に関しては1907年に遠縁のオベロン・ハーバート英語版への継承が確定した[8]

家族

1870年10月25日に、カトリーン・セシリア・コンプトン(Katrine Cecilia Compton,1845年7月26日 - 1913年3月23日,第4代ノーサンプトン侯爵ウィリアム・コンプトン英語版の娘)と結婚したが、夫妻に子はなかった[1]

爵位

1856年4月15日に父の死去に伴って、以下の爵位を継承した[1]

イギリス爵位

海外爵位

1871年8月15日に、以下のイギリス爵位を回復した[6]

1880年7月23/25日に母の死去に伴って、以下のイギリス爵位を継承した[7]

  • 第8代ウィルトシャー州クラッドウェルのクラッドウェルのルーカス男爵(8th Baron Lucas of Crudwell, of Crudwell in the County of Wiltshire)
    (1663年5月6日の勅許状によるイングランド貴族爵位)

脚注

  1. ^ a b c d e f g Cowper, Earl (GB, 1718 - 1905)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 486.
  3. ^ "No. 21294". The London Gazette (英語). 24 February 1852. p. 526.
  4. ^ "No. 21822". The London Gazette (英語). 30 November 1855. p. 4539.
  5. ^ No.23761”. The Gazette 1 August 1871. 2019年12月20日閲覧。
  6. ^ a b Dingwall, Lord (S, 1609)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
  7. ^ a b Lucas of Crudwell, Baron (E, 1663)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
  8. ^ Kidd, Charles, Williamson, David (editors). Debrett's Peerage and Baronetage (1990 edition). New York: St Martin's Press, 1990
  9. ^ Ormonde, Duke of (I, 1661 - forfeited 1715)”. www.cracroftspeerage.co.uk. 2019年12月19日閲覧。
公職
先代:
第2代ノーマンビー侯爵ジョージ・フィップス英語版
儀仗衛士隊隊長
1871–1874
次代:
第5代イルチェスター伯爵ヘンリー・フォックス=ストラングウェイズ
先代:
第7代マールバラ公爵ジョン・スペンサー=チャーチル
アイルランド総督
1880–1882
次代:
第5代スペンサー伯爵ジョン・スペンサー
名誉職
先代:
第7代ベッドフォード公爵フランシス・ラッセル
ベッドフォードシャー統監英語版
1861–1905
次代:
第17代ブレッツォのシンジョン男爵ビューチャンプ・モウブレー・シンジョン英語版
イングランドの爵位
先代:
第7代ルーカス女男爵アン・クーパー
クラッドウェルのルーカス男爵
1880–1905
次代:
第9代ルーカス男爵オベロン・ハーバート英語版
先代:
第2代オーモンド公爵ジェイムズ・バトラー
(1715年私権剥奪)
バトラー男爵
(1871年爵位回復)

1871–1905
次代:
停止
先代:
第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー英語版
クーパー男爵
1856–1905
次代:
廃絶
スコットランドの爵位
先代:
第2代オーモンド公爵ジェイムズ・バトラー
(1715年に私権剥奪)
ディンゴール卿
(1871年爵位回復)

1871–1905
次代:
第9代ルーカス男爵オベロン・ハーバート英語版
グレートブリテンの爵位
先代:
第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー英語版
クーパー伯爵
1856–1905
次代:
廃絶
ドイツの爵位
先代:
第6代クーパー伯爵ジョージ・クーパー英語版
ナッソー・ドーヴァーカーク侯爵
1856–1905
次代:
廃絶



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