フランク・ドゥフェネクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フランク・ドゥフェネクの意味・解説 

フランク・ドゥフェネク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/11 01:03 UTC 版)

フランク・ドゥフェネク
Frank Duveneck
自画像
誕生日 1848年10月9日
出生地 USA,コビントン
死没年 1919年1月3日
死没地 USA,シンシナティ
テンプレートを表示

フランク・ドゥフェネク(Frank Duveneck、出生時の名: Frank Decker、1848年10月9日 - 1919年1月3日)はアメリカ合衆国印象派の画家、版画家、彫刻家である。

略歴

ケンタッキー州コビントンにドイツ移民の息子に生まれるが父親はドゥフェネクが生まれてすぐの1849年にコレラの流行のために没した。1850年に母親とシンシナティに移り、母親が食料店主と再婚したので、継父の姓を名乗ることになった。美術の教育を、地元の教会の装飾画家の見習いとして働いて学んだ。1870年にミュンヘン美術院で学ぶためにドイツの渡った。ヴィルヘルム・フォン・ディーツヴィルヘルム・ライブルに学び、オランダの巨匠ディエゴ・ベラスケスフランス・ハルスの作品から影響を受けた。

1873年に一旦アメリカに戻り、一年後にオハイオの学校で教え始めた。この時代に教えた学生にはジョン・ヘンリー・トワックトマンロバート・フレデリック・ブルームがいる。1875年のボストン・アート・クラブの展覧会で、批評家から高い評価を得た。

1875年に、教え子のトワックトマンらと再びミュンヘンに渡り、ミュンヘンではアメリカから学びに来ていたウィリアム・メリット・チェイスウォルター・シャーローと知り合った。1876年5月にパリを旅し、翌年はトワックトマン、チェースと9ヶ月、ヴェネツィアに滞在した。

1878年にミュンヘンに戻り、ポリングの美術学校で教授として教え初め、アメリカやカナダからの画家、たとえばエリザベス・フォーブスジョン・ホワイト・アレキサンダージョセフ・デキャンプジュリアス・ロルショーヴェンらを教えた。1879年に「ドゥフェネク・ボーイズ」と呼ばれた何人かの弟子とヴェネツィアやフィレンツェを旅し、アメリカ人画家、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーらと知り合いホイッスラーとは協力して活動することになった。

イタリア時代まではおもに肖像画を描いていたが風景画や風俗画を描くようになり色調も変わった。1886年に教え子でボストン生まれのエリザベス・ブート(Elizabeth Boott)と結婚するが、1888年に妻をなくした。ドゥフェネクはシンシナティに戻り教職に戻った。妻の墓のために彫像を制作した。その後は主にシンシナティですごした。1906年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれ、1915年のサンフランシスコ万国博覧会に作品を出展した。

作品

肖像画

風俗画・風景画

参考文献

  • "Der Deutsche Pionier" 1883/84 (Amerikanische Auswandererzeitung): Deutschsprachiger Nachruf auf Joseph Duveneck, den tiefvater von Frank Duveneck; Scan des Nachrufs mit Erwähnung von Frank Duveneck als Maler
  • Carolyn Kinder Carr: Duveneck, Frank. Grove Art Online, Oxford University Press 2007.
  • Jan Newstrom Thompson: Duveneck, Frank. American National Biography Online, 2000.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フランク・ドゥフェネク」の関連用語

フランク・ドゥフェネクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フランク・ドゥフェネクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフランク・ドゥフェネク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS