フェリペ5世の肖像画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/06 08:58 UTC 版)
「ラルモディ博物館」の記事における「フェリペ5世の肖像画」の解説
スペイン継承戦争中の1707年6月6日、スペイン・フランス連合軍によってシャティバ包囲(英語版)が行われ、フェリペ5世はシャティバの町を焼き払うように命じたうえに、町の名称を自身の名にちなむサン・フェリペに改称するように命じた。 ラルモディ博物館にはフェリペ5世の肖像画がわざと上下さかさまの状態で展示されており、これは1961年まで館長を務めたカルロス・サルソウ・カレレスが、シャティバ包囲に対する非難の意味でこの状態とした。カルロス・サルソウ・カレレスは「スペイン王室の一員が三度謝罪をするまでは、フェリペ5世の肖像画は上下さかさまのままだ」と語っている。
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