フィゲイラ広場とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > フィゲイラ広場の意味・解説 

フィゲイラ‐ひろば【フィゲイラ広場】

読み方:ふぃげいらひろば

Praça da Figueira》ポルトガル首都リスボン中央部旧市街にある広場バイシャポンバリーナ地区にあり、ロシオ広場東側位置する。もとは市場があったが20世紀中頃取り壊され現在の広場造られた。中央には彫刻家レオポルド=デ=アルメイダ手掛けたポルトガル王ジョアン1世騎馬像がある。バス市電地下鉄などの路線が集まる交通の要所

フィゲイラ広場の画像
撮影・Bernt Rostad http://os7.biz/u/TOPew

フィゲイラ広場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/19 06:48 UTC 版)

フィゲイラ広場
広場のジョアン1世像

フィゲイラ広場:Praça da Figueira)は、ポルトガルリスボン中心地にある広大な広場。1755年のリスボン地震で被害を受け、再開発されたバイシャ・ポンバリーナ地区にある。

16世紀に広場はなく、一帯は市内で最も重要と言われたトードス・オス・サントス王立病院が占めていた。1755年の大地震でリスボンの全域が被害を受け、病院は著しく損傷した。病院は1775年頃に廃された。

バイシャで病院に占められていた広大な一帯は、青空市場の広場となった。1885年頃、巨大な8000平方メートルの屋根のある市場が建設された。この市場は廃止される1949年まで続いた。その後広場は、開けた空間となった。

1971年、彫刻家レオポルド・デ・アルメイダの手によるブロンズ製『ジョアン1世騎馬像』が広場で除幕された。この像は、ヌーノ・アルヴァレス・ペレイラとジョアン・ダス・レグラスの2人の肖像のあるメダルを運んでいる(2人は1385年の王位継承危機の際、ジョアン1世即位に尽力した)。

1999年から2000年にかけ、広場の最後の修繕がされ、像はコメルシオ広場からも見えるようにと、広場中程から隅へ設置し直した。元々の改修計画は、ビルを完全にセラミック・タイル(アズレージョ)で覆ってしまうというダシアーノ・コスタの計画であったが、実現されなかった。

フィゲイラ広場は、バイシャが再開発されてからある4階建てビルと同一の側面図を持っている。ビルにはホテル、カフェ、商店が入っている。重要な交通の中心であり、バスとリスボン地下鉄が停まる。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フィゲイラ広場」の関連用語

フィゲイラ広場のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フィゲイラ広場のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフィゲイラ広場 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS