ピエール・ド・リュクサンブール (枢機卿)とは? わかりやすく解説

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ピエール・ド・リュクサンブール (枢機卿)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/29 13:56 UTC 版)

ピエール・ド・リュクサンブール
メス司教、枢機卿
ピエール・ド・リュクサンブールの幻視、1450年頃
司教区 メス
着座 1384年2月10日
離任 1387年7月2日
聖職
枢機卿任命 1384年4月15日
個人情報
出生 1369年7月20日
フランス王国リニー=アン=バロワ英語版
死去 1387年7月2日
フランス王国ヴィルヌーヴ=レザヴィニョン
両親 父:リニー伯ギー・ド・リュクサンブール
母:サン=ポル女伯マオー・ド・シャティヨン
出身校 パリ大学コレージュ・ド・ナヴァール英語版
紋章
聖人
記念日 7月5日
列福 1527年
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ピエール・ド・リュクサンブール(Pierre de Luxembourg, 1369年7月20日 - 1387年7月2日)は、フランスカトリック教会の高位聖職者。メス司教英語版枢機卿。1527年に福者に列せられた。

生涯

リニー伯ギーとその妻のサン=ポル女伯マオー・ド・シャティヨンの間の息子として生まれた。幼い頃に両親を亡くし、叔母の手で育てられた。1377年よりパリ大学コレージュ・ド・ナヴァール英語版で学び、1378年にノートルダム・ド・パリ大聖堂の大聖堂参事会員、1381年にノートルダム・ド・シャルトル大聖堂の大聖堂参事会員に名を連ねた。翌1382年にカンブレー司教区英語版の助祭長に叙階された。

1384年、メス司教職が空席となった。新司教の選出は、フランス王の擁する対立教皇クレメンス7世神聖ローマ皇帝の支持を受ける教皇ウルバヌス6世の間の教会大分裂が起きていたため、紛糾した。対立教皇クレメンス7世は1384年2月10日、わずか15歳のピエールをメス司教に叙階した。これに対抗して、ほぼ同時期に教皇ウルバヌス6世はティルマン・フス・フォン・バッテンブルク(Tilmann Vuss von Bettemburg)をメス司教に任命した[1]

フランス王シャルル6世の摂政の一人ベリー公ジャンの求めを受け、対立教皇クレメンス7世は1384年4月15日にピエールを助祭枢機卿に任命した。サン・ジョルジョ・イン・ヴェラブロ教会英語版がピエールの名義聖堂とされた[2]。ピエールは若かったにもかかわらず、非常に聖者らしく禁欲的な生活ぶりで有名だったと言われる。ピエールは1387年、アヴィニョン教皇庁に仕えていた時、18歳の誕生日を迎える直前に死去した。本人の遺志に従い、遺体は貧者のための共同墓地に葬られた。しかし後にピエールの棺に関する奇跡が報告されると、弟のブリエンヌ伯ジャンは別に教会を建ててピエールの遺体をそちらに移した。

ピエールの列福に関する提議は1431年に始まったバーゼル公会議に初めて行われたが、結論に達しなかった。1527年、教皇クレメンス7世はピエールを列福した。1629年、教皇ウルバヌス8世は彼の福者としての記念日を7月5日に定めた。

ヴィルヌーヴ=レザヴィニョンには、ピエールの名前を冠したピエール・ド・リュクサンブール美術館フランス語版が存在する。

脚注

  1. ^ Conrad Eubel, Hierarchia Catholica Medii Aevi (Münich: Sumptibus et Typis Librariae Regensbergianae, 1913), I, 338.
  2. ^ Eubel, I, 28.

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