ピエルルイジ・カシラギ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/15 09:09 UTC 版)
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ラツィオ時代のカシラギ(1993年)
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| 名前 | ||||||
| 愛称 | ダイハード | |||||
| ラテン文字 | Pierluigi Casiraghi | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | |
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| 生年月日 | 1969年3月4日(55歳) | |||||
| 出身地 | モンツァ | |||||
| 身長 | 182cm | |||||
| 体重 | 78kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | FW | |||||
| ユース | ||||||
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| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1985-1989 | |
94 | (28) | |||
| 1989-1993 | |
98 | (20) | |||
| 1993-1998 | |
140 | (41) | |||
| 1998-2000 | |
10 | (1) | |||
| 通算 | 342 | (90) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 1988-1990 | |
7 | (1) | |||
| 1991-1998 | |
44 | (13) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2001-2003 | |
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| 2003-2004 | |
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| 2006-2010 | |
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| 2006-2010 | |
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| 2008 | |
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| 2014-2015 | |
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| 2015-2016 | |
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| 2016-2017 | |
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ピエルルイジ・カシラギ(Pierluigi Casiraghi, 1969年3月4日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手。サッカー指導者。元イタリア代表。ポジションはFW。
来歴
子供の頃はACミランのファンで、マーク・ヘイトリーのファンであった[2]。モンツァでの活躍で、1989年にユヴェントスへと移籍した。1993-94シーズン開幕を前にワールドカップへ出場するためにプレー時間を求め、ラツィオへ移籍した[2]。1994-95シーズンからゼーマンが新監督に就任すると、攻撃的サッカーの恩恵を受けて、多くの得点を決めるようになった[2]。同シーズンのフィオレンティーナ戦では4得点を挙げるなど、このシーズンのリーグ戦で12得点を挙げた[2]。1995-96シーズンにも14得点を挙げた[2]。
1991年2月13日、アリゴ・サッキ監督により、ベルギーとの試合に先発起用されて代表デビュー[3]。1992年2月19日、サンマリノ戦で代表初得点を挙げた[3]。ワールドカップ予選では4試合で2ゴールを決めた[3]。1994年のワールドカップアメリカ大会の代表に召集され、準決勝のブルガリア戦を含め、3試合に起用されたが、得点は奪えなかった[2]。1996年の欧州選手権グループリーグ初戦のロシア戦で2得点を決めて勝利に貢献した[2]。だが、第2戦のチェコ戦では、サッキが数人のメンバーの入れ替えを行い、カシラギも起用されず、2-1で敗北した。グループリーグ突破をかけて行われた、最終戦のドイツ戦、PKを獲得するなど活躍を見せるが、これをゾラが外し、イタリアは引き分けに持ち込まれ、この結果、チームはグループリーグで敗退した[4]。その後のフランス・ワールドカップ予選では、ロシアとのプレーオフ第2戦で決勝点を挙げて本大会へとチームを導いた[5]。ワールドカップ大会直前の4月22日に行われたパラグアイ戦でもプレーしたが、本大会のメンバーに選出されなかった。
1998-99シーズン、ジャンルカ・ヴィアリ選手兼監督が獲得を強く希望し、チェルシーへ移籍した[2]。ウェストハム戦において相手GKと激突し靱帯を損傷する大怪我を負った[2]。手術を数度行うも、怪我は回復せず、2000年にチェルシーから解雇され、31歳で現役を引退した[2]。リハビリ期間中、ヴィアリを除き、チェルシーのチーム関係者やスタッフから容態を尋ねる電話などは1度も無かったという[2]。
代表歴
出場大会
試合数
- 国際Aマッチ 44試合 13得点(1991年-1998年)[6]
| イタリア代表 | 国際Aマッチ | |
|---|---|---|
| 年 | 出場 | 得点 |
| 1991 | 2 | 0 |
| 1992 | 6 | 1 |
| 1993 | 5 | 2 |
| 1994 | 10 | 2 |
| 1995 | 5 | 1 |
| 1996 | 9 | 5 |
| 1997 | 6 | 2 |
| 1998 | 1 | 0 |
| 通算 | 44 | 13 |
出典
- ^ “Pier Luigi Casiraghi - Goals in International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b c d e f g h i j k “Pierluigi Casiraghi, il centravanti che ha provato a battere anche la sfortuna”. GOAL (2023年3月4日). 2023年8月8日閲覧。
- ^ a b c “Casiraghi National Team”. 2023年8月8日閲覧。
- ^ “Italy pay penalty for Germany stalemate in EURO '96 Group C”. UEFA. 2023年8月8日閲覧。
- ^ “Il primo playoff: la storia di Russia-Italia del 1997”. GOAL (2017年3月18日). 2023年8月8日閲覧。
- ^ ピエルルイジ・カシラギ - National-Football-Teams.com
外部リンク
- ピエルルイジ・カジラギ - Olympedia
- ピエルルイジ・カジラギ - National-Football-Teams.com
- ピエルルイジ・カジラギ - FootballDatabase.eu
- ピエルルイジ・カジラギ - WorldFootball.net
- ピエルルイジ・カジラギ - Transfermarkt.comによる選手データ
- ピエルルイジ・カジラギ - Transfermarkt.comによる指導者データ
- ピエルルイジ・カジラギ - FIFA主催大会成績
- ピエルルイジ・カジラギ - UEFA
- ピエルルイジ・カジラギ - playmakerstats.com
- ピエルルイジ・カジラギ - BDFutbol.com
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