ピエトロ・ベンヴェヌーティとは? わかりやすく解説

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ピエトロ・ベンヴェヌーティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 01:26 UTC 版)

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ピエトロ・ベンヴェヌーティ
Pietro Benvenuti
自画像
生誕 1769年1月8日
イタリア,アレッツォ
死没 1817年11月8日
イタリア,フィレンツェ
運動・動向 新古典主義

ピエトロ・ベンヴェヌーティ(Pietro Benvenuti、1769年1月8日 - 1844年2月3日)はイタリア新古典主義の画家である。フィレンツェの美術学校(Accademia di Belle Arti di Firenze)の校長などを務めた。

略歴

トスカーナアレッツォで生まれた。1781年からフィレンツェの美術学校で学んだ後、1792年から1803年の間ローマで修行した。ローマではヴィンチェンツォ・カムッチーニとルイージ・サバテッリと工房を開いた。フランスの新古典主義の画家、ジャック=ルイ・ダヴィッドから影響を受けた。

アレッツォに帰郷した後、ナポレオン1世の妹で、トスカーナ大公国の君主になったエリザ・ボナパルトに宮廷画家として招かれて1897年にフィレンツェに移り、フィレンツェの美術学校の校長に任じられた。1811年から1812年にかけて同僚の画家や学生とフィレンツェのピッティ宮殿の装飾画を描いた。

ナポレオンの失脚によるエリザ・ボナパルトのローマ亡命もベンヴェヌーティの地位を失わせることもなく、新しいトスカーナ大公、レオポルド2世からもサン・ロレンツォ聖堂の装飾画を依頼された。

亡くなる少し前まで美術学校の校長の仕事を続け、多くの画家を育てた。ベンヴェヌーティの教えた学生にはジュゼッペ・ガンドルフォステファノ・ウッシチェーザレ・ムッシーニアントニオ・チゼリ、フランチェスコ・メンシらがいる。

作品

参考文献

  • Bryan, Michael (1886). Robert Edmund Graves. ed. Dictionary of Painters and Engravers, Biographical and Critical (Volume I: A-K). York St. #4, Covent Garden, London; Original from Fogg Library, Digitized May 18, 2007: George Bell and Sons. pp. page 112.
  • Piero Bargellini, Pietro Benvenuti accademico pittore neoclassico, in Id., Caffè Michelangiolo, Firenze, Vallecchi Editore, 1944, pp. 15-56.
  • Elda Fezzi, BENVENUTI, Pietro, in Dizionario biografico degli italiani, vol. 8, Roma, Istituto dell'Enciclopedia Italiana, 1966



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