アントニオ・チゼリとは? わかりやすく解説

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アントニオ・チゼリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/28 14:58 UTC 版)

アントニオ・チゼリ
Antonio Ciseri
自画像
生誕 1821年10月25日
スイス, ロンコ・ソプラ・アスコナ
死没 1891年3月8日
イタリア, フィレンツェ

アントニオ・チゼリ(Antonio Ciseri、1821年10月25日 - 1891年3月8日)はスイス系イタリア人の画家である[1] 。宗教画や肖像画を描いた。

略歴

スイス、ティチーノ州のロンコ・ソプラ・アスコナに生まれた。祖父の代から続く装飾画家の家系で、1833年に父親が働くフィレンツェに移り、フィレンツェの美術学校(Accademia di Belle Arti di Firenze)で新古典主義の画家、ピエトロ・ベンヴェヌーティジュゼッペ・ベッツォーリらに学んだ。

1848年から後輩を教え始め、1853年に美術学校を開いた。チゼリから学んだ画家にはシルヴェストロ・レーガ(Silvestro Lega : 1826-1895)、ニッコロ・カンニッチ(Niccolò Cannicci : 1846-1906)、 ジローラモ・ネルリ(Girolamo Nerli :1860-1926) 、ラファエロ・ソルビ(Raffaello Sorbi : 1844-1931)や エギスト・サッリ(Egisto Sarri : 1837-1901)らがいる[2]

イタリアやスイスの教会からの依頼で宗教画を描き、また多くの肖像画を描いた。その宗教画はラファエロ・サンティの作品のスタイルを踏襲していた。

1877年にイタリアの市民権を得た。1891年にフィレンツェで没した。

作品

脚注

  1. ^ "Ciseri, Antonio." Enciclopedia Italiana|Treccani, il portale del sapere. Web. 26 April 2011. (イタリア語)
  2. ^ Ciseri, Spalleti, & Sisi 1991, p. 164.

参考文献

  • Ciseri, A., Spalletti, E., & Sisi, C. (1991). Omaggio ad Antonio Ciseri, 1821-1891: dipinti e disegni delle gallerie fiorentine : Firenze, Galleria d'arte moderna di Palazzo Pitti, 28 settembre-31 dicembre 1991. Firenze: Centro Di. ISBN 88-7038-213-3 (Italian language)
  • "Antonio Ciseri". SIKART dictionary and database.



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