ビワハヤヒデの活躍と引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 20:31 UTC 版)
「1994年の日本競馬」の記事における「ビワハヤヒデの活躍と引退」の解説
ナリタブライアンと共に中央競馬を盛り上げた立役者は、前年の年度代表馬であるナリタブライアンの半兄・ビワハヤヒデであった。年明け初戦の京都記念を圧勝し、天皇賞・春でも、前年の皐月賞で屈したナリタタイシンの末脚を寄せ付けず、さらに宝塚記念では2200mで初めて2分12秒を破る2分11秒2のレコードで5馬身差の圧勝。秋にはジャパンカップを回避するレースプランを組んで物議を醸したが、初戦のオールカマーでもライバル・ウイニングチケット以下に完勝し、ここまで15戦10勝、2着5回と極めて安定した成績を残す。しかし、天皇賞・秋ではネーハイシーザーの5着に敗れて初めて連(2着以内)を外し、競走中に屈腱炎を発症したため、そのまま引退。弟ナリタブライアンとの兄弟対決はかなわなかった。なお、ライバルのウイニングチケットもやはり天皇賞・秋の競走中に屈腱炎を発症し、引退した。
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