ヒエロニムス・コックとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヒエロニムス・コックの意味・解説 

ヒエロニムス・コック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:10 UTC 版)

ヒエロニムス・コック
Hieronymus Cock
ヒエロニムス・コックの肖像。ヨハネス・ウィーリクス英語版作、16世紀、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館蔵。
本名 Hieronymus Wellens de Cock
誕生日 1518年
出生地 アントウェルペン
死没年 1570年10月3日
死没地 アントウェルペン
配偶者 nl:Volcxken Diericx
活動期間 1545年 - 1570年
テンプレートを表示
店の入り口で客引きに立つコック。奥にいるのは妻nl:Volcxken Diericx
ハンス・フレーデマン・デ・フリースの1560年の版画より。

ヒエロニムス・コック[1]オランダ語: Hieronymus Cock1518年 - 1570年10月3日)は、フランドル版画家画家出版人

略歴

アントウェルペンで生まれた。父親のヤン・デ・コック(Jan Wellens de Cock: c.1470-1521)は画家で、兄のマタイス・コック(Matthijs Cock:1509/1510-1540/1548)も画家、版画家になった。

1545年聖ルカ組合に加入し[2]、1546年から1548年まで、ローマで修行した[2]。帰国後アントウェルペンに版画店「四方の風」(ラテン語: Aux Quatre Vents)を構え、ラファエロ・サンティらのイタリア絵画の複製版画や、ヒエロニムス・ボスピーテル・ブリューゲル素描を版画化し出版した[2]

アントウェルペンのヒエロニムス・コックの工房では、コルネリス・コルトなどが修行し、イタリアの版画家のジョルジョ・ギージも働いた。

1570年にヒエロニムス・コックが亡くなった後、工房は未亡人が運営したが、アントウェルペンでの出版はフィリップ・ハレの工房が担っていくことになった。

作品

脚注

  1. ^ 賢い処女と愚かな処女のたとえ”. 国立西洋美術館. 2018年6月30日閲覧。
  2. ^ a b c コック【Hieronymus Cock】”. 世界大百科事典第2版. 2018年7月6日閲覧。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヒエロニムス・コック」の関連用語

ヒエロニムス・コックのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヒエロニムス・コックのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヒエロニムス・コック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS