パリ条約 (1229年)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > パリ条約 (1229年)の意味・解説 

パリ条約 (1229年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/27 19:34 UTC 版)

レーモン7世によるパリ条約の批准

パリ条約(パリじょうやく、英語: Treaty of Paris)、またはモー条約(モーじょうやく、英語: Treaty of Meaux)は、1229年4月12日パリ近くのモーで締結された、フランス王ルイ9世トゥールーズ伯レーモン7世の間の条約。ルイ9世は当時まだ14歳であり、実際に条約を締結したのは母のブランシュ・ド・カスティーユだった[1]

内容

条約はレーモン7世が敗北を認めたことで1209年からのアルビジョア十字軍を終わらせた。レーモン7世の娘ジャンヌとルイ9世の弟アルフォンス・ド・ポワティエの結婚が定められた。ジャンヌがレーモン7世の相続人だったため、これはレーモン7世の死後2人がトゥールーズの統治者になることを意味する。レーモンはさらに領地の東部地域をルイ9世に[2]プロヴァンス辺境伯領ローマ教皇グレゴリウス9世に割譲した。

影響

条約はオクシタニアの自治を終わらせた。レーモンは領地の半分をルイ9世に割譲したほか、残りの領地も自身とアルフォンスが亡くなると王領に組み込まれることが予定された[2]。レーモン7世は封建制における権利を取り戻したがルイ9世への忠誠を誓わなければならず、トゥールーズなどの要塞は取り壊された。レーモン7世はルイ9世の臣下としてカタリ派狩りを行わなければならず、カタリ派は政治的な保護を失った[2]

脚注

  1. ^ Jackson, Guida, M. (1999). Women rulers throughout the ages: an illustrated guide. ABC-CLIO, Inc. p. 64 
  2. ^ a b c Claude Lebedel. Understanding the tragedy of the Cathars. Ouest France, 2011. p. 96f. ISBN 978-2-7373-5267-6 

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パリ条約 (1229年)」の関連用語

パリ条約 (1229年)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パリ条約 (1229年)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパリ条約 (1229年) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS