バンス島とは? わかりやすく解説

バンス‐とう〔‐タウ〕【バンス島】

読み方:ばんすとう

Bance Islandシエラレオネ南西部首都フリータウンの東のタグリン湾にある小島17世紀英国要塞建造。たびたび、フランスオランダポルトガルからの攻撃受けたその後奴隷貿易拠点となり、当時遺跡入植者の墓などが残っている。


バンス島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 09:40 UTC 版)

バンス島
2006年のフリータウンの衛星画像
バンス島
地理
場所 シエラレオネ川
座標 北緯8度34分 西経13度02分 / 北緯8.567度 西経13.033度 / 8.567; -13.033
行政
追加情報
時間帯
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バンス島の地図(1762)

バンス島 (Bunce Island) は、西アフリカシエラレオネフリータウン近く、ロケ川の河口にある島である。

1663年にイギリスが貿易の中継地点としてバンス島に要塞を築き利用していた。1670年にはイギリスの西アフリカ殺倉海岸における最大の貿易地点として設立した。1702年にはイギリスが島に築いた要塞がフランス軍により攻撃破壊された。その後、要塞は再建されたものの、オランダポルトガルが占領し、再びイギリスの占領下になった。1719年にフランス軍の攻撃にあっていた、イギリスの王立アフリカ会社がシエラレオネにあるヨーク島からバンス島に拠点を移転、しかし、1728年にポルトガルがバンス島の要塞を破壊、それに従い、王立アフリカ会社はシエラレオネから撤退した。その後、1750年に王立アフリカ会社が島に残した要塞はグランド・サージェント・オズワルド会社の手に渡り、同年から1800年のバンス島は奴隷貿易の主要積出港として使われ、奴隷達はアメリカ合衆国カリブ海小アンティル諸島の島々に送られていった。アメリカのサウスカロライナ州に住むガラ族の子孫の黒人は、この島から送られてきたといわれている。アメリカの元国務長官コリン・パウエルがバンス島を訪問した時、「自分はアメリカ人だが、今はただのアメリカ人ではない。この大地で自分のルーツを感じる。自分はアフリカ人でもあるということに誇りすら感じる。」と述べた。現在バンス島にある要塞などの遺跡を保護しようと、国が尽力している。




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