バシレイオス2世治世下のリュディア=ドゥーカス家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 04:32 UTC 版)
「ドゥーカス王朝」の記事における「バシレイオス2世治世下のリュディア=ドゥーカス家」の解説
10世紀末にかけて、次の「ドゥーカス家」があらわれるが、しばしば「リュドイ(Lydoi)」と記されている。これは「リュディア人」の意で、一族の起源がリュディアであることからであろう。それはアンドロニコス・ドゥクス・リュドスとその息子クリストフォロスとバルダスで、後者はMongos(しわがれ声)というあだ名で知られている。アンドロニコスの名前の中のドゥクスが姓なのか軍における地位なのかは不明である。ただ、以前の「ドゥーカス家」との関係は明らかにできないものの、彼らはドゥーカス一族であると考えられている。彼らは976年から979年にかけて、皇帝バシレイオス2世に対する反乱に加わった。しかし息子たちは後に赦されもとの地位に復した。しわがれ声のバルダスは、1017年にハザール遠征軍を率いたことがわかっている。
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