ハーディー (アッバース朝カリフ)
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ハーディー(764年 - 786年9月14日)は、アッバース朝の第4代カリフ(在位: 785年 - 786年)。
生涯
父は第3代カリフのマフディー。母は南アラビアのイエメン出身の元女奴隷・ハイズラーン。名はムーサーともいわれる。
785年に父が死去したため、後を継いだ時は21歳であり、その治世は2年と続かなかった。彼は強情頑迷にして冷酷な人間であったが、同時に勇敢で精力に富み、文学を好んだという。権力を分担させることを嫌い、同母弟のハールーン・アッ=ラシードを斥け、亡父の遺言に逆らい常に次期継承者をハールーンではなく自分の子のジャーファルに改めようと策動した。夫の死後も国事に勢力をふるおうとしていた母のハイズラーンとの間も不和であり、ハーディーの死の直前にようやく和解が成り立ったくらいだった[1]。彼自身の遺言により、ハールーンがカリフ位を継いだ。残された子は男子7名、女子2名あって、娘の一人ウム・イーサは後にハールーンの子マアムーンと結婚した。
脚注
- ^ アミール・アリ 『回教史』 善隣社、1942年、P.207。
参考文献
- アミール・アリ『回教史 A Short History of the Saracens』(1942年、善隣社)
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「ハーディー (アッバース朝カリフ)」の例文・使い方・用例・文例
- ハーディーは私の好きな作家だ
- もう 1 冊手に入れば私のハーディーの全集もそろうことになる.
- ハーディーゆかりの地方 《英国 Dorset 州一帯をさす》.
- ハーディーの詩.
- 彼はシェイクスピアから乗り換えてハーディーの研究に専念した.
- ハーディーの詩は書かれて 30 年ほど経って高い評価を受けるようになった.
- 米国のドタバタ喜劇のコメディアンで、ローレルとハーディーのデュオの横柄なメンバーを演じ、多くの映画を製作した(1892年−1957年)
- 米国のどたばた喜劇の役者(英国生まれ)で、多くの映画でローレルとハーディーのデュオの落ちつきがなくてしばしば悲しいメンバーを演じた(1890年−1965年)
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