ノッティンガムの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 02:29 UTC 版)
「ミッドランド鉄道」の記事における「ノッティンガムの戦い」の解説
1851年に、アンバーゲート・ノッティンガム・ボストン・アンド・イースタン・ジャンクション鉄道(英語版)がグランサムから、ミッドランド鉄道のノッティンガム駅への支線が分岐するコルウィック(英語版)までの路線を完成させた。それ以降グレート・ノーザン鉄道はグランサムを経由するようになり、両社とも新たにできた会社に対して言い寄るようになった。一方で、ノッティンガムはその支線分岐の位置づけから重要となり、拡張が期待されるようになった。ミッドランド鉄道は買収提案を出したが、結果的にはグレート・ノーザン鉄道の株主がアンバーゲート・ノッティンガム・ボストン・アンド・イースタン・ジャンクション鉄道の株を大量に買い集めていたことがわかった。しかしこの路線をグレート・ノーザン鉄道に合併する試みは、エリスが裁判に訴えて何とかグレート・ノーザン鉄道がノッティンガムに入ってくるのを防ぐ命令を取り付けたために挫折させられた。しかしこれにもかかわらず、この鉄道は1851年にはさらに北へ延伸し、これにはノッティンガムを含んでいた。ノッティンガムへ同社の列車が初めて走ったのは1852年のことであったが、前後をミッドランド鉄道の機関車に誘導されて、古い車庫へ連れて行かれ、そこで前後の線路を剥がされてしまうという目に遭った。
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