ネド・ナジとは? わかりやすく解説

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ネド・ナジ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 01:40 UTC 版)

獲得メダル

ネド・ナジ
イタリア
男子 フェンシング
1912 フルーレ個人
1920 フルーレ個人
1920 サーブル個人
1920 フルーレ団体
1920 エペ団体
1920 サーブル団体

ネド・ナジNedo Nadi1894年6月9日 - 1940年1月29日)は、イタリアリボルノ出身の男子フェンシング選手。身長188cm。弟のアルド・ナジもフェンシング選手。

オリンピック1大会でフルーレエペサーブルの3種目で金メダルを獲得した唯一の選手である。また1大会5個の金メダルは、1972年マーク・スピッツに破られるまで最多記録だった。

略歴

7歳の時に父からフェンシングを教えられた。フルーレとサーブルは教えられたが、エペは独学で学んだ。

1912年ストックホルムオリンピックで、フルーレ個人では史上最年少の18歳29日で金メダルを獲得した。その他、サーブル個人とサーブル団体で5位となった。

1916年のオリンピックはドイツベルリンで開催される予定だったが、第一次世界大戦が勃発したため中止となり、ネド・ナジもイタリア軍の一人として従軍した。

戦後の1920年アントワープオリンピックには、敗戦国であるドイツハンガリーオーストリアブルガリアトルコなどは戦争責任を問われ招待されなかった。特に当時フェンシングの強豪国であったハンガリーが不参加となったことから、ネド・ナジは金メダルを狙い、フルーレ、エペ、サーブルの3種目の練習に取り組んだ。オリンピック開会式ではイタリア選手団の旗手を務め、フルーレ個人と団体、エペ団体、サーブル個人と団体の計5個の金メダルを獲得した。腸の問題で棄権せざるをえなかったため、エペ個人だけはメダルを逃した。

弟のアルド・ナジも団体のメンバーとして計3個の金メダルを獲得し、サーブル個人で銀メダルを獲得した。

1935年から死去する1940年までイタリア・フェンシング連盟の会長を務めた。

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