ドレゴヴィチ族居住地からの成立説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/01 08:24 UTC 版)
「グロドノ公国」の記事における「ドレゴヴィチ族居住地からの成立説」の解説
アレクサンドル・ナザレンコ(ru)は、初代グロドノ公フセヴォロドコの父をダヴィド・イーゴレヴィチとする説に対して、地勢的、系譜的観点から反論を述べている。まず、プリピャチ川流域は当時ヴォルィーニ公国領ではなく、ドレゴヴィチ族の勢力圏(ベレスティシチナ(ru))であったとしている。系譜学的検証からは、アガフィヤ・ウラジミロヴナの夫としては、又従兄弟の関係にあるダヴィド・イーゴレヴィチは、当時の教会法では近親婚とみなされたはずだとしている。 さらにナザレンコは、フセヴォロドコの父は11 - 12世紀の端境期にベレスティシチナを領有していた人物であるとみなした。具体的にはイジャスラフ・ヤロスラヴィチの子孫(トゥーロフ・イジャスラフ家(ru))であり、1102年に没したヤロスラフ・ヤロポルチチ(ru)ということになる。
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