テーセウスとヒッポリュテー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 15:39 UTC 版)
「ヒッポリュテー」の記事における「テーセウスとヒッポリュテー」の解説
同じくアポロドーロスの「摘要(エピトメー)」によると、ヘーラクレースのアマゾーン遠征に参加したテーセウスがひとりのアマゾーンをさらった。 さらわれたアマゾーンの名は一般にアンティオペーとされるが、メラニッペーまたはヒッポリュテーあるいはグラウケーとする説もある。このため、アマゾーンの大軍がアテーナイに押し寄せ、アレースの丘に陣取った。アマゾーンたちの指揮を執ったのは、アンティオペーの姉妹のオーレイテュイアで、スキュティア人と同盟したという。4ヶ月間に及ぶ激戦の結果、アテーナイが勝利した。 このアマゾーンとテーセウスとの間にヒッポリュトスが生まれた。しかし、後にテーセウスがミーノースの娘パイドラーと結婚したとき、彼女は他のアマゾーンたちとともにテーセウスを襲った。彼女はこの戦闘でテーセウスに殺された、あるいはアマゾーンたちの襲撃を知ったテーセウスの仲間が急いで扉を閉め、屋内で彼女を殺したともいう。別の説では、彼女はテーセウスの側についてアマゾーンたちと戦って死んだ、またはペンテシレイアが誤ってヒッポリュテーを殺したともされる。
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