ダンツホース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/08 06:35 UTC 版)
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この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。
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ダンツホース | ||||||
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現役期間 | 1987年 - 1989年[1] | |||||
品種 | アングロアラブ(アラブ血量25.81%)[1] | |||||
性別 | 牡[1] | |||||
毛色 | 鹿毛[1] | |||||
生誕 | 1985年3月12日[1] | |||||
死没 | 不明 | |||||
登録日 | 不明 | |||||
抹消日 | 1991年4月1日[2] | |||||
父 | ベナ[1] | |||||
母 | ダーリングヒカリ[1] | |||||
母の父 | ダーリングデイスプレイ[1] | |||||
生国 | ![]() |
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生産牧場 | 釘田フアーム[1] | |||||
馬主 | 山元タキ[1] | |||||
調教師 | 新原彦二(佐賀)[1] | |||||
競走成績 | ||||||
生涯成績 | 18戦6勝[1] | |||||
獲得賞金 | 773万6000円[1] | |||||
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ダンツホース[1](1985年3月12日 - 不明)は、日本の競走馬。主な勝ち鞍に1988年の弥生賞。
経歴
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[3]
3歳(1987年)
1987年8月29日、佐賀競馬場のアラ系3才(ダート900m)でデビュー。2着馬ニシノラツキーに6馬身差を付け勝利を収めた。9月6日には400m延長した1300mでの競馬で、4番人気に支持され2着と好走。続くアラ系3才にて5番人気という人気薄を跳ね除け1着入線。2着馬ダンツスタリヨンに4馬身差を付けての勝利となった。10月24日、11月3日の背振賞では掲示板入りこそするも勝利を逃した。特に11月3日の背振賞は1番人気を裏切っての4着入線となった。次戦ははがくれ賞tr。これまでの上川薫に乗り替わり三小田幸人が手綱を握った。先の凡走が響き9番人気と人気を落とすも5着に食い込んだ。12月13日のはがくれ賞では6番人気のカモイケタイガーを捉えきれず2着と惜敗。なおトライアル優勝馬で1番人気だったマルシゲツバメは3着だった。
4歳(1988年)
4歳シーズン初戦は1月10日のくすのき賞。1番人気こそキンコーツバサに譲るも、2着馬ハツコウチカラに3馬身差を付け勝利。その後は破竹の勢いでB級戦線を勝ち抜き、10戦5勝で迎えた弥生賞(現:九州弥生賞)。出走メンバーの中で唯一の重賞馬だったカモイケタイガーが圧倒的1番人気に推される中、2番人気に支持されたダンツホース。結果はダンツホースが1分56秒9で重賞初制覇。2着ははがくれ賞3着のマルシゲツバメ、1番人気に推されたカモイケタイガーは3着で決着した。4月16日にはB1級の玄海賞に出走、2番人気の3着と好走。続く4月29日の玄海賞でも1番人気の2着と、勝ち星こそ上げられなかったものの善戦を繰り広げた。5月も玄海賞に出走。しかし1番人気の5着とここでも勝ち抜くことはできなかった。約7ヶ月ぶりの実戦となった12月3日の玄海賞は7着と惨敗。続く12月17日の玄海賞でも7着と惨敗した。
5歳(1989年)
5歳シーズン初戦は1月2日の玄海賞。4番人気まで回復するも8着と大敗。以降は休養に入り、実戦に復帰したのは約11ヶ月後の12月16日。9番人気という最低人気をマークするも8着とビリは回避した。なおこのときの鞍上は主戦の上川薫ではなく間延夫だった。それ以降は長期間出走せず、1991年4月1日に地方競馬の登録を抹消[2]された。現役を退いた後は種牡馬にはならず、消息不明になる。
競走成績
血統表
ダンツホースの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | 不明 |
[§ 2] | ||
父
*ベナ Benat 1979 栗毛 |
父の父
Florestan II1966 |
Jacinto | アラ Sumeyr | |
Callista | ||||
Florise III | アラ Ourour | |||
Flore | ||||
父の母
Dona Jimena 1964 |
Nithard | Kesbeth | ||
Nitouche | ||||
Farida IV | サラ Elseneur | |||
Lady Salmson | ||||
母
サラ ダーリングヒカリ Daring Hikari 1980 黒鹿毛 |
*ダーリングデイスプレイ 1969 青鹿毛 |
Bold Lad | Bold Ruler | |
Barn Pride | ||||
Royal Display | Right Royal | |||
Short Sentence | ||||
母の母
*シンフルソング1971 黒鹿毛 |
Le Levanstell | Le Lavandou | ||
Stella's Sister | ||||
Sinful | Grey Sovereign | |||
Satan's Slide | ||||
母系(F-No.) | シンフルソング(IRE)系(FN:14-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Callista・Farida IV:S4×S3、Nasrullah:M5×M5 | [§ 4] | ||
出典 |
- 父の母Dona Jimenaの全兄はエルシド。
- 主な近親にLady Sybil(チヴァリーパークS、ラウスS、サクサムS)、Sybil's Nephew(ディーS、BENTINCK S、MANCHESTER C、NEWMARKET ST. LEGER)。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “ダンツホース”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年3月8日閲覧。
- ^ a b “ダンツホース 出走履歴”. 地方競馬全国協会. 2025年3月8日閲覧。
- ^ “ダンツホース 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2025年3月8日閲覧。
- ^ a b c “血統情報:5代血統表|ダンツホース”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2025年3月8日閲覧。
- ^ a b “ダンツホースの血統表”. netkeiba.com. 2025年3月8日閲覧。
- ^ “ダーリングヒカリの1985の血統データ”. 競馬ラボ. 2025年3月8日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ
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