タークシン蜂起
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/10 06:12 UTC 版)
「泰緬戦争 (1765年-1767年)」の記事における「タークシン蜂起」の解説
アユタヤを攻略したミャンマー軍の主力は、北方から攻め込んできた清軍に対抗するため、すぐに北上して次の戦地に向かった。そのためアユタヤ王朝の旧領では各地の有力者たちが自立し、内戦の模様を呈するようになった。そんな中、チャンタブリーを拠点としたタークシンは1767年11月にアユタヤの街を奪還した。そしてミャンマーが清軍との戦いに追われている隙をついて、アユタヤ旧領を平定していった。1768年、旧アユタヤ領の統一を完了したタークシンは王位につきトンブリー王朝を開いた。
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