チャンタブリーとは? わかりやすく解説

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チャンタブリー【Chantaburi】

読み方:ちゃんたぶりー

タイ南東部都市カンボジアとの国境近くタイランド湾北東岸に注ぐチャンタブリー川下流部に位置する農業が盛んで、天然ゴム果物コーヒーなどを産する古くからルビー、サファイアトパーズ採掘され宝石集散地加工となっている。同国最大カトリック大聖堂がある。


ムアンチャンタブリー郡

(チャンタブリー から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 19:32 UTC 版)

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座標: 北緯12度36分38秒 東経102度6分15秒 / 北緯12.61056度 東経102.10417度 / 12.61056; 102.10417

ムアンチャンタブリー郡
ムアンチャンタブリー郡の位置
情報
タイ語名 อำเภอเมืองจันทบุรี
チャンタブリー県
地理番号 2201
郵便番号 22000
統計
面積 253.093 km2
人口 119,203 人 (2005年)
人口密度 471.0 人/km2
行政
郡庁所在地 Wat Mai
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ムアンチャンタブリー郡(ムアンチャンタブリーぐん)はタイ中部・チャンタブリー県の郡(アムプー)。同県の県庁所在地(ムアン)でもある。

名称

チャンタブリーとは「月の街」という意味である。古くはチャンタブーンとよばれた。

歴史

チャンタブリーは最初はチョーン族(モン・クメール語族)が13世紀ごろに住み着いたのが最初と考えられ、クアンクラブリーと呼ばれる小国をチャンタブリーにつくった[1]。現在はチョーン族はカオキッチャクート郡に居住している。

アユタヤ王朝時代には重要な地方都市の一つであり[2]、「官印法」によればコーサーティボーディー(クロマター、港務省)の管轄下にあった[3]。1657年、チャンタブリーは移動させられチャンタブリー川の西側に移動した。

1767年、アユタヤ王朝が崩壊すると5000のビルマ軍がチャンタブリーを占領した。このとき、タークシン王を主と仰ぐ500人の兵士がチャンタブリーを包囲し兵糧攻めにして駆逐した。これは、チャンタブリーの人が誇りを持つ出来事である。

その後ラーマ3世(ナンクラオ)はベトナムの侵略を避けるため街を移動したが、ラーマ5世(チュラーロンコーン)は街を元あった場所に戻した。

1893年パークナーム事件が勃発するとフランス軍が駐留した、その11年後チャンタブリーはフランスに返還された。

1933年チャンタブリー県が成立。チャンタブリーは郡となった。

地理

チャンタブリー川の形成した平地にある。市内の重要な水源もチャンタブリー川である。

国道3号線が西から東南に通っており、西にラヨーン方面、東南にトラート方面とつながっている。国道317号線が東北に延びておりサケーオ方面とつながっている。国道3249号線が北に延びており、カオキッチャクート方面と通じている。

経済

郡の主要な産業は農業で、ランブータン、ドリアン、マンゴスチンなどの生産が行われている。

行政区分

郡は11のタムボンに分かれ、さらにその下位に98の村(ムーバーン)がある。自治体(テーサバーン)があり、以下のようになっている。

  • テーサバーンムアン・チャンタブリー・・・タムボン・タラート、タムボン・ワットマイの全体
  • テーサバーンタムボン・プラッププラー・・・タムボン・プラッププラー、タムボン・クローンナーラーイの一部。
  • テーサバーンタムボン・チャンタニミット・・・タムボン・チャンタニミット全体
  • テーサバーンタムボン・ターチャーン・・・タムボン・ターチャーンの一部
  • テーサバーンタムボン・ノーンブワ・・・タムボン・ノーンブワの一部
  • テーサバーンタムボン・バーンカチャ・・・タムボン・カチャの一部

また、郡内には8つのタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)がある。

  1. タムボン・タラート・・・ตำบลตลาด
  2. タムボン・ワットマイ・・・ตำบลวัดใหม่
  3. タムボン・クローンナーラーイ・・・ตำบลคลองนารายณ์
  4. タムボン・コクワーン・・・ตำบลเกาะขวาง
  5. タムボン・コムバーン・・・ตำบลคมบาง
  6. タムボン・ターチャーン・・・ตำบลท่าช้าง
  7. タムボン・チャンタニミット・・・ตำบลจันทนิมิต
  8. タムボン・バーンカチャ・・・ตำบลบางกะจะ
  9. タムボン・サレーン・・・ตำบลแสลง
  10. タムボン・ノーンブワ・・・ตำบลหนองบัว
  11. タムボン・プラッププラー・・・ตำบลพลับพลา

脚注

  1. ^ Joachim Schliesinger: Ethnic Groups of Thailand: Non-Tai-Speaking People, Bangkok: White Lotus Press, 2000, p.71 ISBN 9789747534177
  2. ^ エレミアス・ファン・フリートはその著書で、チャンタブーンが地方国の首都だと述べている。cf. Jeremias Van Vliet: Van Vliet's Siam, Trans. L. F. van Ravenswaay, Ed. Chris Baker, Chiang Mai: Silkworm Books, 2005, p.108 ISBN 9789749575819
  3. ^ 石井米雄 「アユタヤ王朝の統治範囲を示す『三印法典』中の三テキスト」 『タイ近世研究序説』 岩波書店、1999年、pp.127-165, ISBN 9784000012898

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