ソマリランド軍大佐の亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 07:46 UTC 版)
「カルド (ソマリア)」の記事における「ソマリランド軍大佐の亡命」の解説
2018年5月、エル・アフウェイン地区のソマリランド軍第3大隊の指揮官であるサイード・カウイル・カーレ大佐が一軍を率いてプントランドのカルドに亡命した。 2018年6月、アラブ首長国連邦の代表団がカルドを訪問。 2018年7月、ソマリア中央政府のハッサン・アリ・カイレ首相が厳戒態勢の上でカルドを訪問し、歓迎された。 2018年8月、カーレ大佐は、カルド郊外にソマリランドに抵抗するための軍事基地を作ったと発表した。これはプントランド政府から提供されたものであり、プントランド政府はソマリランドからの全ての亡命者を受け入れると表明した。 2019年3月、プントランド政府はカルドに駐留するカーレ大佐が率いる軍の行動を禁止した。カルドの自治体はカーレ大佐の軍が町に入ることを禁止した。2019年7月にはカーレ大佐の軍がカルドから遠く離れたドーブの町でソマリランド軍と戦闘している様子が報じられている。
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