ソポト (ブルガリア)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ソポト (ブルガリア)の意味・解説 

ソポト (ブルガリア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 05:27 UTC 版)

座標: 北緯42度39分 東経24度45分 / 北緯42.650度 東経24.750度 / 42.650; 24.750

ソポト
Сопот
ソポト
ブルガリア内のソポトの位置
 ブルガリア
州(オブラスト) プロヴディフ州
基礎自治体 ソポト
自治体全域の人口 11056[1]
(2009年06月15日現在)
町の人口 9919[2]
(2009年06月15日現在)
ナンバープレート PB
標高 417 m
標準時 EETUTC+2
夏時間EESTUTC+3

ソポトブルガリア語: Со̀пот / Sopot)は、ブルガリア中部の町、およびそれを中心とした基礎自治体であり、プロヴディフ州に属する。バルカン山脈の南の斜面のふもとにあり、山脈の南に広がるバラの谷下バルカン渓谷)と称される渓谷の中にある。

カルロヴォから西に5キロメートル、ブルガリアの首都ソフィアからは東に136キロメートル、プロヴディフ州の州都プロヴディフからは北に63キロメートル、トロヤンからは南に61キロメートルのところにある。ブルガリアの国民的詩人イヴァン・ヴァゾフИван Вазов / Ivan Vazov)生誕の地であり、また機械製造の拠点ともなっている。

町の博物館として使用されている古い建物

コンスタンティン・イレチェク(Konstantin Jireček)によると、この地名はスラヴ祖語に由来しており、スラヴ語圏には同じ地名が数多く存在している。この町に関する情報はオスマン帝国時代の文献にも見られる。18世紀から19世紀にかけての民族復興期(Bulgarian National Revival)には、工芸と交易の拠点として栄え、「黄金のソポト」と呼ばれた。ソポトの民は質の高い手織物、組みひも、毛皮、皮革製品を作り出し、その品物はオスマン帝国各地で売買された。

1877年の独立戦争の時には、町の人々は虐殺されたり追放されたりした。共産党支配時代の1950年から1965年までの間、ヴァゾヴグラト(Вазовград / Vazovgrad)と呼ばれたが、その後もとの名前に戻された。

ブルガリアの教育者のさきがけとなったネデリャ・ペトコヴァ(1826年 - 1894年、Неделя Петкова / Nedelya Petkova)は、この地の聖生神女進堂女子修道院の学校で学んだ。

住民のほぼ全てはキリスト教徒であり、そのほとんどが正教徒であるが、福音派カトリックの家族も住んでいる。

町村

ソポト基礎自治体(Община Сопот)にはその中心であるソポトをはじめとする、以下の町村(集落)が存在している。

命名

南極大陸サウス・シェトランド諸島リヴィングストン島Livingston Island)にあるソポト山麓氷河(Sopot Ice Piedmont)はこの町にちなんで命名された。

脚注

  1. ^Главна Дирекция - Гражданска Регистрация и Административно Обслужване (2009年6月15日). “Таблица на населението по постоянен и настоящ адрес” (ブルガリア語). 2009年7月30日閲覧。

外部リンク





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ソポト (ブルガリア)」の関連用語

ソポト (ブルガリア)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ソポト (ブルガリア)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのソポト (ブルガリア) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS