セント・パトリック教区_(グレナダ)とは? わかりやすく解説

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セント・パトリック教区 (グレナダ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 14:30 UTC 版)

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セント・パトリック教区

Saint Patrick Parish
教区のウェルカムサイン
北緯12度12分11秒 西経61度38分26秒 / 北緯12.20306度 西経61.64056度 / 12.20306; -61.64056
グレナダ
名の由来 パトリキウス
首府 ソーターズ
面積
 • 合計 42km2
面積順位 4位
人口
(2011年国勢調査)
 • 合計 10,504人
 • 推計
(2019年)
11,158人
 • 順位 4位
等時帯 UTC-4 (大西洋標準時)
 • 夏時間 なし
ISO 3166コード GD-06

セント・パトリック教区Saint Patrick Parish)は、グレナダ行政教区[1]。グレナダ島の北東部のほか、グレナディーン諸島ロンデ島英語版カイル島英語版ダイアモンド島英語版Les Tantesといった島嶼を管轄する。首府はソーターズ[2]。面積は42平方キロメートル、人口は約1.1万人(2019年推計[3])。

1640年代にフランス人が入植し、先住民族のカリブ族は奴隷となるか絶滅させられた。中でも抵抗したKairouane酋長の一団(40人程度)はフランス人によってソーターズ付近の崖へ追い詰められ、海へ身投げしたという伝説が残っている。この出来事からフランス人は当地をソーターズ(Sauteurs、英語に翻訳するとJumpers)と名付けた。また集団自決があった崖はリーパーズ・ヒル(Leapers' Hill)と呼ばれ、記念碑が建造されている。1763年、イギリス領となった際にセント・パトリックへ改称した[4]。植民地時代は農業が盛んで、島のカカオ豆ナツメグの半数以上は同教区で生産された。アーヴィンス湾(Irvin's Bay)では本国との貿易船が発着し、砂糖・野菜を輸出した。

グレナダ島の北部にはいくつか海水浴場があり、中でもバスウェイ・ビーチ(Bathway Beach)が有名である。また火山湖アントワーヌ湖ドイツ語版がチボリ近辺にある。

主要都市

脚注

  1. ^ Grenada#Government”. 中央情報局 (2021年8月24日). 2021年9月1日閲覧。
  2. ^ Parishes of Grenada”. Statoids.com (2015年6月30日). 2021年9月1日閲覧。
  3. ^ Grenada”. Citypopulation.de (2021年8月29日). 2021年9月1日閲覧。
  4. ^ ST PATRICK”. グレナダ政府ポータルサイト. 2021年9月1日閲覧。



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