セバスティアニズモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 02:37 UTC 版)
「セバスティアン1世 (ポルトガル王)」の記事における「セバスティアニズモ」の解説
1580年からポルトガルはスペインの支配下に置かれ、困窮する民衆は救世主の出現を熱望していた。1530年に靴屋のバンダーラが書いた隠れた王が民衆を解放する予言詩にセバスティアンがあてはめられ、遺体が見つからなかったセバスティアン王は実は戦死しておらず、敗北を恥じ入って姿を隠しているだけである、と信じられるようになる。民衆はセバスティアンの帰国を信じ、各地にセバスティアンを詐称する者が多く現れた。 スペイン支配下のポルトガルにおけるこのセバスティアニズモ(メシア待望論)はスペイン支配を終わらせる民衆の反乱の原動力になり、1640年12月1日に蜂起し国家独立を回復したジョアン4世のブラガンサ王朝の正統性を強化するために利用された。
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