セシール・フルタード=エーヌとは? わかりやすく解説

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セシール・フルタード=エーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/03 10:09 UTC 版)

セシール・フルタード=エーヌ、H・ヴィンターハルター英語版

セシール・シャルロット・フルタード=エーヌCécile Charlotte Furtado-Heine, 1821年3月6日 パリ - 1896年12月10日 ロカンクール英語版)は、19世紀フランスの女性資産家・慈善家。

生涯

出自と私生活

セファルディム系ユダヤ人の特権的階級家庭に生まれた。父エリー・フルタードはパリの銀行家で、フランス・イスラエル中央長老会英語版バイヨンヌ選挙区選出長老を務めていた。父方祖父ジョゼフ・フルタードはリスボンにルーツを持つバイヨンヌの有力な投資家・船主であり、その兄弟のアブラーム・フルタード英語版ユダヤ人名望家会議英語版議長として皇帝ナポレオン1世に側近く仕えた。母ローズ・フールドはロカンクール市長を務めた銀行家ベール・レオン・フールド英語版の娘で、母の弟アシル・フールド英語版は皇帝ナポレオン3世時代に長く財務大臣を務めた有力者だった。

養女ポールの肖像。ポールは1881年にエルシンジャン公爵と死別すると、翌年エスリング公ヴィクトル・マッセナフランス語版と再婚した。E・ロセ=グランジェ英語版画、1902年

1838年10月2日ロカンクールで、ドイツの成功したユダヤ人銀行家一族ハイネ家ドイツ語版の一員で、ハンブルクで銀行業に携わっていたカール・ハイネ(シャルル・エーヌ)ドイツ語版と結婚。詩人ハインリヒ・ハイネや、後にリシュリュー公爵夫人やモナコ公妃となるアリス・エーヌと縁戚になった。

夫との間に子がおらず、ポール・マルグリート・ロール・ジュリエット・エーヌ(1847年 - 1903年)と名付けた孤児の女児を養女に迎えた。女児はおそらく、セシールの兄ポール・フルタードが愛人マリー=ジュリー・モレルとの間にもうけた隠し子だった。セシールは1866年、養女ポールをボナパルティストのエルシンジャン公爵ミシェル=アロイス・ネイに嫁がせた。

慈善活動

セシールは非常に裕福だったが、1865年に夫を亡くすと、さらに巨額の遺産を相続した。モンソー通りフランス語版28番地の巨大な庭園に囲まれた大邸宅に居を構えた彼女は、様々な慈善活動に勤しむようになった。1870年の普仏戦争の際は、赤十字社を財政支援したほか、負傷兵の地元送還のための救急輸送サービスを組織した。1884年、パリ14区にある孤児院の運営費用を提供する基金を設立した。孤児院の建つ通りでは彼女の基金創設を記念して、1897年より通りの名称をセシール=フルタード=エーヌ通りフランス語版と改めている。また、バイヨンヌ・モンルージュ両市に保育園を創設した。

1895年、フランスのマダガスカル占領の際は、傷病兵の看護治療のため尽力した。彼女はニース市内プロムナード・デ・ザングレに面する自分の別荘ヴィラ・フルタード=エーヌ英語版を、傷病兵用の療養施設としてフランス陸軍に譲渡したうえ、施設の整備・管理、医療スタッフの雇用、患者の治療費と衣食住など、一切の費用を全て私費で賄った。またパスツール研究所の研究活動費にも多額の助成を行ったので、同研究所のホールには現在に至るまでセシールの胸像が飾られている。

サン=ジェルマン・ドゥ・シェネ教会内にセシールが設置した聖ナポレオンのステンドグラス、1882年製

セシールは同胞であるユダヤ人たちにも気を配った。複数のユダヤ系慈善団体を支援したほか、フランス及びベルギーにおけるシナゴーグの新規建設・開設を行った。これらセシールによって建てられたシナゴーグの中で、最も金や手間暇をかけて美しく造営されたのはヴェルサイユのそれであり、このヴェルサイユ・シナゴーグ英語版の壁面にはセシールを称える赤大理石の銘板が2枚据え付けられた。

また、父から相続した居城ロカンクール城フランス語版の接するル・シェネにあるサン=ジェルマン・ドゥ・シェネ教会フランス語版ステンドグラスの設置費用を拠出した。彼女の発注したステンドグラスにはセシールの名祖である聖セシリア、そしてボナパルティストの好んだ聖ナポレオンフランス語版の図像が描かれた。

死去

セシールのフランスに対する貢献が高く評価され、1896年の晩秋、彼女はレジオンドヌール勲章を授与された(女性への授与はまだ珍しい時代だった)。しかし授与から数週間後の12月10日、セシールはロカンクールの城で死去した。彼女の葬儀には当時のフランス大統領フェリックス・フォールや内閣の閣僚、パリ内外の諸自治体の首長らがそろって出席した。フランス首席ラビザドック・カーン英語版が、葬儀においてセシールを称賛する演説を行った。

参考文献

  • Richard Ayoun, « Une femme philanthrope : Madame Cécile Furtado-Heine (1821-1896) », dans Centenaire de la Synagogue de Versailles, Versailles, 1986, p. 16-23.
  • Lucienne Mazenod (dir.), Les femmes célèbres, Paris, éditions d'art Lucien Mazenod, t. 1, 1960, « Furtado-Heine Cécile », p. 438.
  • M. Parcot, « Furtado-Heine Cécile », dans M. Prévost et Roman d'Amat, Dictionnaire de biographie française, Paris, Letouzey et Ané, 1954, 14 : 1458.

外部リンク




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