アリス・エーヌとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アリス・エーヌの意味・解説 

アリス・エーヌ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 09:46 UTC 版)

アリス
Alice
モナコ公妃
アリス・エーヌ(1890年頃)
在位 1889年10月30日 - 1922年6月26日

出生 1858年2月10日
アメリカ合衆国ニューオーリンズフレンチ・クオーター
死去 (1925-12-22) 1925年12月22日(67歳没)
フランス共和国パリ
埋葬 フランス共和国ペール・ラシェーズ墓地
配偶者 第7代リシュリュー公アルマン
  モナコアルベール1世
子女 第8代リシュリュー公アルマン
ラ・ロシュフコー公夫人オディール
父親 ミシェル・エーヌ
母親 アメリー・マリー・ミルテンベルガー
宗教 ユダヤ教カトリック教会
テンプレートを表示

アリス・エーヌAlice Heine, 1858年2月10日 - 1925年12月22日)は、モナコアルベール1世の2度目の妃。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』に登場するリュクサンブール大公女のモデルとなった。

生涯

アメリカニューオーリンズ、旧市街のフレンチ・クオーターで、マリー・アリス・エーヌとして生まれた。父ミシェルはユダヤ系ドイツ人の銀行家で、詩人ハインリヒ・ハイネの甥にあたる。父は1840年にパリへ移住し、1843年に再度ニューオーリンズへ移住し、銀行家・地主として大変な成功をおさめていた。一家はロワイヤル通りに3つの目を見張るような豪華なマンションを所有していた。

南北戦争を避けるため一家はフランスへ戻り、若く美しいアリスは、その一家の富も加えてパリ社交界の注目の的となった。ミシェルの所有する会社は、プロイセンと戦うナポレオン3世のために融資をしている。

ユダヤ教からカトリックに改宗し、アリスは最初の夫、第7代リシュリュー公アルマンと1875年に結婚した。夫妻の間に生まれた息子アルマンは、のち第8代リシュリュー公となる。

1889年10月、アリスはアルベール公と結婚した。公は最初スコットランドのハミルトン公の娘メアリーと結婚し、のち離婚した。彼は海洋学者でたびたび長い航海へ出かけた。アリスは、モナコのオペラ・シーズンに多大な関心を寄せていた。

アリスは実家の資産をバックに公国の経済を支え、強力なビジネスの手腕をもって、モナコをオペラ、劇場、バレエにおいてヨーロッパ一の文化中心地にしようと力を注いだ。ロシア人興行主セルゲイ・ディアギレフ、作曲家イジドール・デ・ララらとの協力が知られる。

1902年5月、モナコ公夫妻は別居を始めたが離婚はしなかった。20年後のアルベールの死により、アリスは公太后(皇太后、英語ではDowager Princess)の称号で呼ばれた。彼女は再婚せず、モナコ公家の一員として亡くなった。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アリス・エーヌのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アリス・エーヌ」の関連用語

アリス・エーヌのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アリス・エーヌのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアリス・エーヌ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS