スーパーパワーズカップとは? わかりやすく解説

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スーパーパワーズカップ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/21 00:59 UTC 版)

スーパーパワーズカップ(Super Powers Cup)は、かつて行われていたラグビーユニオンの国際大会である。本項では2003年2004年のスーパーパワーズカップと2005年TOSHIBAスーパーカップを合わせて記述する。2006年にIRBパシフィックファイブネイションズ(現・ワールドラグビーパシフィックネイションズカップ)が創設されたことなどにともない、スーパーカップは廃止された。

2003年

2003年IRBが、日本米国ロシア中国の4ヶ国による1回戦総当たり戦として創設したが、SARSの流行のため中国がこの年の大会への参加を取りやめ、3ヵ国によって行われた。また、米国はロシア戦にフル代表ではなくA代表を派遣し、これを下したロシアが優勝した。米国が2位、日本は2敗で3位に終わった。

試合一覧

2003年5月17日
14:00
アメリカ合衆国  69 - 27  日本 ボクサースタジアム英語版サンフランシスコ
レフリー: B・ククリンスキー(カナダ)
レポート
2003年5月25日
14:00
日本  34 - 43  ロシア 秩父宮ラグビー場東京都
レフリー: アル・クレンプ(アメリカ)
レポート
2003年7月
ロシア  30 - 21  アメリカ合衆国A クラスノヤルスク

2004年

2004年は、東芝の特別協賛となり、TOSHIBAスーパーパワーズカップとして日本で開催された。中国は他の参加国に実力が遠く及ばないため結局参加せず、替わってカナダが加わってのトーナメント方式となり、日本がロシアとカナダを破って優勝した。

試合一覧

1回戦

2004年5月27日
カナダ  23 - 20  アメリカ合衆国 旧国立競技場東京都

1回戦

2004年5月27日
19:07
日本  29 - 12  ロシア 旧国立競技場東京都
レフリー: B・ククリンスキー(カナダ)
レポート

3位決定戦

2004年5月30日
アメリカ合衆国  41 - 11  ロシア 秩父宮ラグビー場東京都

決勝戦

2004年5月30日
14:05
日本  34 - 21  カナダ 秩父宮ラグビー場東京都
観客動員数: 11679[1]
レフリー: アル・クレンプ(アメリカ)
レポート

2005年

2005年は前年同様、日本で4ヶ国によるトーナメント方式で開催されたが、ロシアに替わってルーマニアが参加し、「超大国カップ」という従来の名称と実態との乖離が大きくなったため、「TOSHIBAスーパーカップ」に改称された。 優勝したのはカナダで、米国と日本を破った。

試合一覧

1回戦

2005年5月25日
カナダ  30 - 26  アメリカ合衆国 旧国立競技場東京都

1回戦

2005年5月25日
19:06
日本  23 - 16  ルーマニア 旧国立競技場東京都
レフリー: P・ドロレット(カナダ)
レポート

3位決定戦

2005年5月29日
アメリカ合衆国  28 - 22  ルーマニア 秩父宮ラグビー場東京都

決勝戦

2005年5月29日
14:31
日本  10 - 15  カナダ 秩父宮ラグビー場東京都
観客動員数: 12097[2]
レフリー: G・ブレン(アメリカ)
レポート

脚注

関連項目




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