ジンナーの家族のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 05:13 UTC 版)
「ムハンマド・アリー・ジンナー」の記事における「ジンナーの家族のその後」の解説
娘ディーナーは、パキスタンの独立後もインドに残り、その後、アメリカのニューヨークに住居を構えた。ジンナーの孫に当たるナスリー・ワーディヤーは、ムンバイ在住の企業家である。ジンナーの妹ファーティマ・ジンナーは、国家の母として知られるようになり、1963年から1964年にかけて実施された大統領選挙に立候補、アユーブ・ハーンに敗北した。 ムンバイに残されたジンナー・ハウスは現在インド政府が所有しているが、その帰趨をめぐっては議論が続いている。ジンナーはネルーに対して、いつか自分がムンバイに帰ったときのために保存しておいてもらうよう個人的に依頼していた。パキスタンはインド政府に対してジンナー・ハウスを領事館として使用することを申し出ているが、ディーナーの家族が自らの財産権を主張しており、事態は進展していない。
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