ジロンド派政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/11 05:54 UTC 版)
対外戦争において苦戦する中、立法議会に代わり国民公会が開催される。ジロンド派はこの議会において多数を占め、王政の廃止および共和国宣言を採択する。しかし、革命の一応の終結を目指すジロンド派と、急進的な革命を推し進めようとする山岳派との対立が激しくなっていった。 やがて、ルイ16世が外国と画策したとされる文書がテュイルリー宮殿内から発見される。また、王妃マリー・アントワネットの外敵通牒も伝えられた。山岳派は、国王や王妃の裏切り行為に対し裁判を要求したが、これ以上の革命の推進を望まないジロンド派は、裁判の実施に消極的であった。しかし、ロベスピエールやサン=ジュストといった山岳派の演説により、国王裁判が開催されることになる。 裁判の結果、ルイ16世の死刑が決定する。裁判におけるジロンド派はまとまりを欠き、死刑に賛成するものや反対するものなど、一致した見解を出すことができなかった。
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