ジリオーラ・フラッツォーニとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジリオーラ・フラッツォーニの意味・解説 

ジリオーラ・フラッツォーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 04:03 UTC 版)

ジリオーラ・フラッツォーニ(伊: Gigliola Frazzoni, 1923年2月22日ボローニャ生まれ、2016年12月3日同地没)はイタリアソプラノ歌手。

エミリア=ロマーニャ州ボローニャ出身。

経歴

ボローニャ生まれ。生地でブランシュ・マルケージ、オリヴィオ・セッキアローリに師事。1947年にペーザロにて、ザンドナーイの「フランチェスカ・ダ・リミニ」のサマリターナ役でデビュー。翌1948年にボローニャのドゥーゼ劇場にて、プッチーニの「ラ・ボエーム」のミミ役で主役デビューした。

以降はイタリアの主要劇場で評価を上げ、1955年2月6日にはミラノスカラ座ジョルダーノの「アンドレア・シェニエ」のマッダレーナ役でデビューする。この際はマリア・カラスの裏キャストであったが、翌1956年4月にプッチーニの「西部の娘」のミニー役にて大成功を収めた。翌シーズンの再演でも起用されるなど、ミニーは彼女の代名詞的な役柄となった。この間、1957年1月26日のプーランクの「カルメル派修道女の対話」の世界初演にマザー・マリー役で参加している。

イタリア国外では、ミュンヘンシュトゥットガルト、ヴィースバーデン、チューリッヒウィーン、ボルドー、ダブリン、カイロなどにも出演した。メトロポリタン歌劇場からの招聘も受けていたが、飛行機嫌いで断っていた。

1979年アレーナ・ディ・ヴェローナでの「カヴァレリア・ルスティカーナ」のサントゥッツァ役を最後に引退した。

録音

正規録音としてはチェトラ・レーベルへのプッチーニの「トスカ」全曲盤がある。共演はタリアヴィーニグェルフィ。指揮はバジーレ。

ライヴ録音は、スカラ座での「カルメル派修道女の対話」、1956年(共演はコレッリ)と1957年(共演はデル・モナコ)の「西部の娘」などがある。

アリア集は、Eklipseレーベルから「Gigliola Frazzoni In Concert 1954-1963」のCDが発売されている。RAIへの放送音源やライヴ音源から採られている。

出典

  1. https://www.ilrestodelcarlino.it/bologna/spettacoli/gigliola-frazzoni-soprano-1.2726794

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ジリオーラ・フラッツォーニのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジリオーラ・フラッツォーニ」の関連用語

ジリオーラ・フラッツォーニのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジリオーラ・フラッツォーニのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジリオーラ・フラッツォーニ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS