ジャンジャコモ・グェルフィとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジャンジャコモ・グェルフィの意味・解説 

ジャンジャコモ・グェルフィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 05:23 UTC 版)

ジャンジャコモ・グェルフィ(伊: Giangiacomo Guelfi, 1924年12月21日- 2012年2月8日)はイタリアバリトン歌手。ラツィオ州 ローマ出身。

経歴

当初、フィレンツェ大学で法律を学んでいたが声楽に転じ、1950年のスポレートでの声楽コンクールに優勝し、同年スポレートのヌォーヴォ劇場でヴェルディの『リゴレット』の題名役でデビューした。1951年9月にはヴェネツィアフェニーチェ劇場にヴェルディの『アッティラ』のエッツィオ役で出演。1952年のローマ歌劇場によるカラカラ浴場でのヴェルディの『アイーダ』にアモナスロ役で出演後は、1970年代半ばまで毎年のように同役で出演した。

スカラ座には1952年3月17日フアン・ホセ・カストロの "PROSERPINA E LO STRANIERO" でデビューした。その後スカラ座の常連となり、1953年のカタラーニの『ラ・ワリー』、1956年の『アイーダ』、1963年の『カヴァレリア・ルスティカーナ』、1966年の『ナブッコ』などシーズン開幕公演にも4回出演している。

イタリア以外でも1957年にロイヤル・オペラ・ハウスに『トスカ』でデビュー、1965年にはウィーン国立歌劇場に『アンドレア・シェニエ』で出演。1970年2月にメトロポリタン歌劇場に『トスカ』でデビューするなど世界的に活躍した。

1980年のローマ歌劇場での『トスカ』にて引退した。

日本には、1956年の第1次NHKイタリア歌劇団で来日し『アイーダ』と『トスカ』を歌った。とりわけ『アイーダ』のアモナスロ役での歌唱は、第2幕の "Suo padre. Anch'io pugnai" での凄まじい声の威力で日本の聴衆の度肝を抜いたと言われる。1961年の第3次NHKイタリア歌劇団においても、第1次公演で評判となった『アイーダ』と『トスカ』に加えて、『アンドレア・シェニエ』を歌っている。

2012年2月8日にボルツァーノにて、87歳で死去。

録音

1950年代から1970年代にかけて、数多くのライブ録音が存在するが、スタジオ録音は以下となる。


録音年 レーベル 作曲家 指揮者 管弦楽団、合唱 共演者 備考
1955 チェトラ ビゼー カルメン (オペラ)(抜粋) アルトゥーロ・バジーレ RAIトリノ ピア・タシナーリフランコ・コレッリ、マルゲリータ・ベネッティ イタリア語
1956 チェトラ プッチーニ トスカ アルトゥーロ・バジーレ RAIトリノ ジリオーラ・フラッツォーニフェルッチョ・タリアヴィーニ
1956 チェトラ ヴェルディ アイーダ アンジェロ・クエスタ RAIトリノ メアリー・カーティス・ヴァーナ、フランコ・コレッリ、ミリアム・ピラッツィーニ、ジュリオ・ネーリ
1956 チェトラ ヴェルディ 運命の力(抜粋) アルトゥーロ・バジーレ RAIトリノ フランコ・コレッリ
1965 ドイツ・グラモフォン マスカーニ カヴァレリア・ルスティカーナ ヘルベルト・フォン・カラヤン スカラ座 フィオレンツァ・コッソットカルロ・ベルゴンツィ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  ジャンジャコモ・グェルフィのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジャンジャコモ・グェルフィ」の関連用語

ジャンジャコモ・グェルフィのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジャンジャコモ・グェルフィのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジャンジャコモ・グェルフィ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS